2015年8月

 

 

 

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■夏休み

2015年8月16日(日)晴れときどき曇り

 

 

 

夏休みが今日で終わる。

今年の夏休みは何気に忙しい1週間だったような気がするが、どうだろう?

 

 8/8(土)

 8/9(日)日帰りキャンプ(高篠山)

 8/10(月)ソロ・ツーリング(真田街道)

 8/11(火)バイクメンテ他

 8/12(水)マス・ツーリング(北茨城)

 8/13(木)

 8/14(金)帰省

 8/15(土)帰省&ドライブ

 8/16(日)

 

バイクこそときどき走らせるものの、5月にツーリングに行って以来ツーリングらしいツーリングに行ってなかったこともあり、久々に500km超のツーリングに行き、中1日で再び300km超のツーリングに行ったが、それほど疲れも残らずもう1回どこかに行っても良いくらいな気もした(笑)が、その一方でシフトフィールが気になるようになり、ブランドを換えることを含めオイル交換をするか、さらに添加剤を使用するか迷い中。

 

お盆は毎年同じように幸手に帰省。14日は島田‘社長’が来るかもしれない(と云っても、もうだいぶ高齢だし、どうだろう?とは思っていたが。)と思い、15日お袋を連れ出して、行った事がないと云う袋田の滝へ。行き先は正直何処でも良いが、日常から少し遠ざけてみると云うか、年に数度だけどそんなのも良いだろうと思う。その一方で、あと何回連れ出すことが出来るかとも考えてしまうが、できる範囲でやれば良いと思うしかない。

 

また、この1週間には8/12は日航機墜落(今年でちょうど30年だそうだ)、そして8/15は云わずと知れた終戦記念日(今年で戦後70年)がある。高篠山に行った時、あの日に一緒に仕事をしていた‘ヤス’と日航機墜落の事を話したが、彼も強烈な印象が残っていると話していた。この時期になると様々な特集番組が放送されるが、特に日航機墜落事故の放送は未だに見る気がしない。

 

8/12の深夜、中国(天津)で火災に起因する大規模爆発事故があった。倉庫に保管されている化学物質と消火作業による水が反応し、映像を見ているとまるで大型爆弾が投下されたかのようにさえ見えた。

8/14に安倍総理が「戦後70年談話」閣議決定、発表。たとえどんな内容であっても様々な批評、論評が出ることはいつものことだが、安倍総理の表現はいつも回りくどくてわかりにくいことが多く、「で、何が云いたいの?」と問い質したくなることは「継承されている」ようだ。(笑)

8/15に鹿児島県の桜島で噴火警戒レベルが4に引き上げられたそうだ。レベル4は警戒が必要な居住地域での避難準備、災害時要援護者の避難等が必要となる。

 

写真は8/15に真珠湾の式典で打ち上げられた花火。

「式典」がそのままいつまでも続く世の中が良いと、心から願うばかりだ。

 

とりあえず明日から社会復帰。

頑張ろう。

 

 

 

 

■最後の晩餐?

2015年8月11日(火)晴れ

 

 

 

先週の日曜日に、おそらく4年ぶりに高篠山へ。

8月に入ってから高篠山(野外活動センター)が来春閉鎖になると知った。開所してから今年でちょうど40年、施設の老朽化と維持管理コストが理由なのは間違いないだろう。

それと前後して、‘たかしの会’永久幹事(笑)が突然「日帰りキャンプをやるから来て!」と。ちょっと迷ったが、いつの間にか「8/9〜10の1泊2日」になっていた。8/9(月)はカミさんが仕事だし自分もツーリングの予定をしていたので、ちょっと迷ったけれど8/9のみ日帰りで参加することに。

参加したメンバは ‘いつも’ のメンバーと ‘かなり久しぶり’ なメンバー、と云っても10人足らず、やはり突然すぎたことに加え日〜月と云う日程ではムリもない。

 

久しぶりとは云っても手慣れたもので、スタンダードな夕飯のカレーは分担を決めるまでもなくさっさと支度が始まる。先週のガレハラ・スタッフにも共通する気がしたが、あれこれ指図しなくても自然に分担が成立し効率よく作業が進むからおもしろい。まぁお互い気心のしれた仲間達だしそれが普通なのだが...。(笑)

 

‘たかしの会’ も、多い時は子供達だけで20人くらい集まったが、その子供達も成長し、子供の受験や塾通いや部活やその他の理由に親が参加しなくなり、年々参加者が減って2011年(たぶん第17回)を最後に中断していたが、これも ‘時の流れ’ なのかもしれない。

自分の中では、学生時代の高篠山での経験はかなり大きなモノで、その後の自分自身に影響も与えてくれたけど、みんながみんな同じとは限らないだろうし、人それぞれによって考え方が違うのだから仕方がない。

 

ふと、‘あのノリ’ でキャンプを続けたとしたら、あと何年出来ただろうか?と思う。10年...平均年齢が還暦を上回ることまでだろうか?

それ以降は、年に一度くらいは温泉旅行でも...って云う雰囲気のメンバーでもないし、どうなることやら。(笑)

 

写真のような野外炊事があの場所で出来なくなると云うことが、まだ現実味が無く理解できないでいる。閉鎖後しばらくしたら「無くなったんだなぁ...。」と思うのだろうか?

閉鎖後は建物は解体され更地(つまり‘山’)に戻されるらしい。

 

 

 

 

■もて耐

2015年8月3日(月)晴れ

 

 

 

久々のもて耐。

鈴鹿8耐に足を運ばなかったことで感じた少しの淋しさみたいな気持ちを十分埋めてくれるようなレースになった。

 

今年のもて耐には、年明けの頃から出場を表明していた‘ガレハラ’(正式名‘S工房ガレージハラダ’)に加えて、もて耐への出場を目標にレースを始めた‘SPEED’が初出場する。笑ってしまったのはこの2チームが同じピット割りだったこと。全日本の時は、最終コーナー寄りのガレハラと、2パドに仮設ピットを構えるSPEEDの間をチャリで行ったり来たりしていたのに、今回は近いどころか同じピット割りと云うのには少々驚いた。ちなみにもう1チームは寺本さんのチーム、監督がみんな全日本のライダー。(笑)

 

ガレハラは、クラス分けと予選中の赤旗で1ポジションに泣かされ、日曜の7耐には進めず土曜に行われた4耐はP.Pからスタートと云う素直には喜べないレースに。原田さんも「ビリで良いから7耐に出たかった」と云っていた。

ライダーは平城さん、高橋さん、曽我さんの3人体制。4時間を3人1交代で走りきるだけでなくトップでゴールし翌日の7耐出場を目指し‘勝ちに行く’作戦を立てる原田監督、特にスタートライダーを務めた平城さんは走行後脱水症状に見舞われてしまう程だったのに、マシントラブルでリタイアを強いられてしまったチームてら〜ん(正式名は‘T-REV RECING’ 寺本さんのお兄さんの会社のチームとのこと。)の「手厚いケア」で復活、4スティント目をしっかり走りきるどころか、前を走るライダーよりかなり早いラップで周回し、4耐3位表彰台と云う結果を残した。

 

一方のSPEED(正式名は‘保険職人SPEED Party’)は、船田さん、松島さん、繁さん、高平隊長の4人でエントリー、Gr.3(CBR-STクラス)で予選通過し7耐決勝へ。

その7耐では2度の転倒(2度目は当てられたらしい。)に見舞われながらも4人のライダーがそれぞれしっかり走りきり66位で無事完走、チームの引っ張り役だった船田さんが2度目の転倒でケガを負ってしまい、朝フリーを含め3度の転倒でマシンのダメージもあったものの、黒川さんを初めチームが一丸となってマシンを修復、致命的なダメージが無かったことが幸いし7時間を無事に走りきり、「完走」と云う目標を達成した。‘チームてら〜ん’は他車との接触・転倒時にF・フォークに致命的なトラブルに見舞われ1時間強で4耐をリタイアせざるを得なかったのだから、余計に「走りきった」達成感を感じた。

同時に、特に2度目の転倒で負傷してしまった船田さんは、当てられた悔しさとチームへの申し訳なさがものすごくその表情に表れていたが、それもレースなのだろう。

 

おそらく‘SPEED’は来年もリベンジするだろう。

ガレハラは関西のチームだから正直どうなるかはわからない。でもリベンジして欲しい。

チームてら〜んは社員研修目標未達だからリベンジせざるを得ないとか。(笑)

何にしても、来年の楽しみがまたできた様な気がする。

それぞれのチームのライダーとスタッフのみなさん、本当にお疲れ様でした。

 

[追伸]

    それにしても、2チームの写真を撮る=2倍撮る=2倍疲れる、かな?

    「3倍疲れる監督業」by寺本‘監督’、よりはずっと楽か。(笑) 

 

 

 

 

 

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