早いもので今年も折り返し地点を過ぎた。昔は思わなかったが、ふと「また‘1歳’の半分が過ぎた」と云うような思いが頭をよぎる。
先月の菅生の後にひいてしまった風邪をしばらく引きずってしまい、熱が出たりするほど酷くはなっていないから未だ良いが、咳がなかなか治まりきらないのは困ったものだ。
7月最初の週末は次男のスイフト修理。ボンネットは6月中に交換したものの、ラジエターはやはり交換が必要で、曲がったコアサポートもヤフオクで入手して交換。
ぶつかり方(力の加わり方)がよっぽどわるかったのか、歪みが全体的に広がっているのでコアサポートを換えたぐらいでは元通りにはならないが、それでも「ぶつけました」はだいぶごまかせるようになったので、次男も少しは安心?しただろう。
根底には別の理由があるので「直って良かったぁ〜!」だけで安心してもらっても困るのだが、それを判るのはもう少し歳を取ってからかもしれない。
翌週(2周目)末は義理の親戚の墓参りのおつきあい。未だに他でほとんど聞いたことがないが、7月にお盆と云うのは東京だけなのだろうか?。
墓参りに行くまでにすんなり行かないのはここ数年毎回のことだが、こうも毎回繰り返されると辟易してくるのが本音。かと云ってそれを口にしようものなら正に「火に油を注ぐ」になってしまうのは間違いない。外野が口を挟むものではないから黙っているけど、巻き添えにされるのはたまったものではない。
それにしても義叔父が亡くなってから毎回「その話」が出てくるのは何故だろう?確かに ‘血の繋がる’
身内でも似たような話があった(真剣に耳を傾けないからまともに記憶していない。)が、あえて他の話題に振ってみても、話が長続きしないか、もしくはいつのまにか「その話」に戻ってしまうから困ったものだ。結局「話題がそれしかない」としか思えない。
それにしても義父はこのところ急に歳を取ったように見える。趣味がある人ではないこともあって普段ほとんど動かないのだろう、脚力がかなり衰えているのは誰が見ても明らかだ。見ていると義母に云われたことだけをやっているようにも見え、義母も衰えた夫が心配なのか必要以上に世話を焼いているようにさえ見えてしまう。
そんな義父を見ていると、「歳を取った時の楽しみ」と云うのがつくづく大切だと感じてしまうし、義父より年上のお袋が毎週末歌を歌いに通っているのは、‘年寄りの趣味’
という事よりも‘楽しみがある’と云う意味で大切なことなのだろう。自分の今の一番の趣味はもちろんバイクだけど、これがいつまで続けられるか(乗っていられるか)ではなく、乗り続けるためにはどうすれば良いかを考えていこうと改めて意識するこの頃だ。
そして昨日は鍛治家へ。
あれから3年、昨年までは1周忌、3回忌があったが今年は特に何も無いと思ったら、ご家族の方は彼の父親の33回忌(50歳前に亡くなられたらしい)だったそうだ。
職場の連中と鍛治家に押しかけ仏壇に手を合わせ、そして毎年ごちそうになって、中にはかなり?酔っ払いになってしまうヤツもいて醜態をさらし迷惑をかけているのでは?と危惧したが、反対に旦那さんの職場繋がりが切れてしまうことに淋しさを感じてしまうらしく、10人以上で押しかけ賑やかなのも良いらしい。
親父が死んでもう26年にもなるのに、親父の会社の社長(もう引退しているが)が毎年お盆に来てくれる気持ちが嬉しい反面、島田社長もだんだん高齢になってきて大変だからもう...と思う時があるが、社長はどんな気持ちで来てくれるのだろう? そんなことを思いながら、鍛治家の皆さんが喜んでくれるうちは手を合わせに行こうと、今回改めて思った。
写真は帰りがけに見た虹。そう云えばあの日も強い雨が降った不安定な天気だったな...。
先週西日本を中心に被害をもたらした台風11号が通過した後、どうやら夏本番が訪れたようだ。
今年は今週末の8耐には行かないが、その翌週(8/1〜2)のもて耐にガレハラやガレージスピード(黒川さん)が参戦するので、久々に「もてぎの夏」を満喫しようと目論んでいる。
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