2004年5月

 

 

 

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■痛っ!

2004年5月26日(水)

 

上歯茎にかけた柿の種が突き刺さった。

くそぉ〜...PL法で訴えてやる。o(゚^゜)○☆バキッ!

 

 

 

 

■浅間

2004年5月23日(日)

 

昨日に続き、今日も肌寒くすっきりしない天気が続く。

先日から汚れた英雄のページ更新を再開し始めたのがきっかけで、1950年代半ば降の日本のモーターサイクルの歴史?みたいなものを調べている。すると、汚れた英雄がどれだけ事実に忠実であるか、まったく驚きの連続である。

但し50年代のレース、特に富士登山レースなどは情報が乏しく、市立図書館にまで足を運んでみたものの新たな情報もなく多少行き詰まり気味でおもしろくない。こうなったら県立図書館か国会図書館にでも行ってみようか?と思う今日この頃である。

 

 

 

 

■北朝鮮

2004年5月22日(土)あめ

 

昨日は台風一過(この季節に台風がやってきたのである。)で晴れたと思ったら夜にはどんより曇り空、そして今日は霧雨混じりのジメジメした天気で気温も低い1日だった。

その5/22の夜、蓮池さん他、元北朝鮮拉致家族のお子さん5人が‘帰国’した。蓮池さんら5人が帰国して1年7ヶ月と云う歳月が流れてようやく、という感じだ。けれども曽我さんの夫(チャールズ・ジェンキンスさん)は米国の(元)脱走兵で米国に引き渡されてしまうと云う理由で‘来日’せずそのお子さんも北朝鮮に残った。またその他の拉致被害者に関する進展は「再調査する」にとどまった。

曽我さんは家族の方と第三国(中国)で再開することになると云う。それだけでも進展があったと云うことなのだろうか?小泉首相自ら足を運び、‘これだけ’の成果なのか、進展の第1歩なのか、それはきっと次で決まるのではないか?と思った。

今日(まで)のニュースを見ていてふと、帰国したお子さん達をはじめ、「少し報道規制をしてそっとしておいてあげるべきでは?」と思うのは自分だけではないだろう...。

 

 

 

 

■Historic Racer

2004年5月16日(日)あめ

 

予定通り(?)動態確認テストの見学に。

朝から雨が降り「これじゃぁエンジン始動だけだなぁ...。」と思ったりもしたが、'60年代のレーサーの排気音なんてそう滅多に聞けるものでもないと思って、雨の中をもてぎへむけて出発。

VTRやNS/NSR等はサイレンサーもあるし何度か聞いたことのある音なのであまり驚きもしなかったが、'60年代のRCワークス・レーサーに火が入ると「これが125ccなの?」と思うような凄まじい排気音。

おもしろかったのはタコメータのレスポンスの悪さ。小刻みに開け閉めするスロットルに0.5秒くらい遅れて針が動いているような感じがした。特に目立ったのは'60年型のRC143や'62年型のRC145。これがRC166('66年)やRC174('67年)になるとさほど感じなくなるのだから、タコメータの‘性能’もマシンと同様に向上していったのだろうか?

そのタコメータ(イギリス:スミス製)を見ていると、スロットルの開閉は約8,000rpm程度までで行っている様子。最後のひと捻りは、スパイ針がついている15,000付近まで廻すマシンもあった。40年も前の展示用マシンで、『ひと捻り15,000rpm』である。

最新のマシンはあまりに「完成されている」感があって、それにくらべるとこの'60年代のレーサーは、アルミ製のカウルひとつをとって見ても、まるで手作りのような感じさえして、汚れた英雄の影響もあって大いに興味をそそられる。

2輪のエンジン始動が終わったその後に同じ頃のF1:RA272の音を聞いても(やはり同じように凄まじい音だが。)あまり驚かなかったほどだ。(まぁ興味の対象のせいもあるのだろうけど。)

雨が降らなければ宮城 光さんは'84年型NS500に乗る予定だったのだろうか?タイヤ・ウォーマーまでセットされていたけど、結局ピットから外に出ることはなかったのが残念だった。

4輪は土屋圭一さんがJTCC仕様のACCORDで雨の西コースを4周(を午前と午後の2回)走った。普段は気さくそうな人がマシンの前に立つと、たとえテスト・ランとは云え表情がガラッとかわるのには少々驚いた。

それにしても、これでもてぎは2回連続雨に祟られた。次は(3年目の)もて耐の予定。今度こそは晴れて欲しいものだ。

 

 

 

 

■ぶぉぉぉぉんんん!

2004年5月11日(火)

 

ふと、ホンダコレクションホールのWebサイトを見てみると、なんと今週末に動態確認テストがあると云うではないか!それもライダー/ドライバーには、鎌田学/土屋圭一/中子 修/宮城 光の4人。マシンもRC143をはじめとする'60年代のレーサーを中心にフレディの'84型NS500も。(NSR500でないのがちと残念だけど。)

まさにナイスなタイミング! これはもう見に行くしかない!もし土屋さんや宮城さんのサインなんかもらえたら超感激するだろうなぁ〜。...と、年甲斐もなくはしゃいじゃいました。(^^;ゞ

マイコさんはどこにいったやら。(笑) ←ちゃんと?医者にかかりました。

 

 

 

 

■マイコ!

2004年5月9日(日)あめ

 

先週からのカゼ?が未だに直らない。と云うかヒドイ咳が続いている。もしかしてSARS... ということはたぶんあり得ないだろうが、前にも一度かかったことのあるマイコプラズマ肺炎ではないだろうか?まったくマイッタものである。

明日午前中、観念して医者にかかるつもり。(遅いっつーの。)

 

 

 

 

■(-”-;)

2004年5月3日(月)あめ

 

カゼ(バテ?)がどうもスッキリせず、結局終日ダラダラのんびり。

 昨日までの好天から今日以降はぐずついた空模様が続くらしい。

 

汚れた英雄」に出てくるレースについてネット上で情報を集めてみた。なにせ47年も前のレース故に情報が限られていて、特に出場したバイク・メーカやマシンの情報がとにかく不足気味なのである。おかげで、「第2回浅間高原レース」だけでほぼ半日以上を費やしてしまった。

浅間レース・コースは未舗装だった(と云うか、当時はどこも未舗装が当たり前だった様だ。)ので、参加しているマシンはオンロードとオフロードの合いの子の様なマシンたちばかりで、典型的なのがタイヤでいわゆる「キャラメル・ブロック」タイヤのオンパレードである。コーナリング・フォームも、まるでギャンブル・レーサーの様にイン側の足を擦りながらコーナーを抜けてゆく姿が見られ、今では考えられない光景だ。

それでもこの浅間火山レースは日本のオートバイ(と云うよりもむしろ‘日本のモーター・スポーツの’と云うべきだろう)の原点と云えるものだということがどこのサイトからも伝わって来る。

いろいろ調べている際に、日本を代表する名ライダー(ここでは‘ドライバー’と書かずに、あえて‘ライダー’と書かせてもらう。)「高橋国光さん」の記事を数多く見かけた。日本人として初めて世界GPで優勝した人であることをどれだけの人が知っているのだろう?これがヨーロッパの国だったら、高橋さんは国民栄誉賞どころではすまされないはずである。ラテン系国家なら当然ながら英雄扱いではないだろうか?

今後掲載予定の第3回浅間火山レースや晶夫が参戦した数々のWGPにも高橋さんは数多く登場してくるので、その中で彼の功績を紹介していきたい。

 

 

 

 

■へレス

2004年5月2日(日)

 

夕方(と云うより宵)になってようやく熱が下がってきた。

WGP第2戦、雨のスペイン/へレス。MotoGPクラスは、チーム・グレシーニ・ホンダのSete GIBERNAUが優勝するとともにホンダ勢が1-2-3フィニッシュ。23戦連続表彰台と云うV.ROSSIは4位に終わり、その記録も途切れてしまった。

今年もSeteの左胸にはゼッケン‘74’が輝き、Seteは大治郎と共に青いTelefonica Movistarのマシンでサーキットを走る。

 

 

 

 

■バテ?

2004年5月1日(土)

 

連休に入ったと思ったら突然熱っぽい。

日頃の疲れが出たのだろうか?夕方まではなんともなかったのに、急にダルさを感じたと思ったら37℃ちょっとの熱がある。平熱が35℃前半なのでこの熱はけっこうキツイ。

 

 

 

 

 

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