勝手気ままなBike Touringの記録

[ No.2:‘浅間サーキットをさがせ’ - 群馬県嬬恋村方面 - (2006年9月16日) ]

 


 

 

2度目のソロ・ツーリングは、日本のモーターサイクル発祥の地:群馬県嬬恋村へ。

 

 

今まで何度も所在地(と云えないか、無くなってるんだから。)を探したけど見つからなかった「浅間高原自動車テストコース」、ふとしたことからGoogle Map(航空写真)でその存在を発見!

 

これはもう行ってみるしかない!と云うワケで目的地が決定。

台風13号が沖縄まで接近してたけど、予報では1日曇り。

まぁ途中で本降りになったらあきらめて帰ってくるか、ということで出発しました。

 

 

 

 


 

 

 

東松山ICから松井田妙義ICまでは高速を利用。

3連休にもかかわらず渋滞もなく至って順調な流れだったので、途中でちょっとこんなおバカなことをしてました。(右の写真) 

 

 

CB400SFV2は、100km/hに少し届かない位の速度で6,300rpmを超えるんですが、そこからエンジン音が変わります。

こもったカンジからヌケるような感じ、うまく表現できません。 (笑)

 

 

下仁田ICを過ぎた頃からだったかな?

横川SAまで7kmほど工事渋滞、かなりノロノロ状態でした。こんなときはバイクは楽ですねぇ。(笑)

碓氷峠を越えて行く予定なので松井田妙義ICで一般道へ。

まっすぐ嬬恋まで行くのもつまらないので、あちこち寄り道しながら行くことにしてました。

 

 

 

 

 

最初に寄ったところはJR横川駅、横川駅ってこんなに小さかったんですね。知りませんでした。

特にどうって云うワケでもないんだけど、両親の実家が長野だったのでいつも「通過」してたから、どんなところか寄ってみようっていう程度の理由です。(笑)

 

横川駅の隣にある鉄道文化むらに展示されている、かつて碓氷峠を走ってた列車たち(たぶん)。

でも、どの車両もひどい汚れ/痛みで展示と云うよりは墓場みたい。これじゃあお金を払ってまで見ようとは思わないな...。

 

 

 

 

横川から碓氷峠へ。

あえて旧国道18号を走ることに。今まで自分の運転で旧国道18号を走ったことはたぶん一度も無かったと思います。

ちなみに、「旧碓氷峠」は旧中山道の峠道のことで、旧国道18号は「碓氷峠」、国道18号碓氷バイパスは「入山峠」と云います。

 

 

 

 

これがその旧中山道(の入口)、どうみても単なるハイキングコース?にしか見えないなぁ...、って昔の人は歩いて峠を越えていたんだから これが普通か。

 

あちこちでこんな注意の看板などを見かけました。...ってサルならまだしも、クマまで出没するのかよ...。(汗)

 

 

 

 

碓氷峠と云えばこの眼鏡橋、200万個のレンガで作られているらしいです。

 

この眼鏡橋を含め、JR信越線の軌道だったところが、今はこのように遊歩道になっていて、さっきのから鉄道文化むらから歩いてこれるようです。

 

それにしても今回の写真、なんでこんなに写り(発色)が悪いんだろ?

(注:改版時にある程度補正を加えました。)

 

 

 

 

路面が濡れていたのもあってのんびり走ります。前を走るアメリカンのライダーものんびり。(笑)

それにしても薄暗いし、路面荒れまくりだなぁー...。

 

旧国道18号、碓氷峠(のてっぺん)。

「峠」と書かれた表示板とか何もないんだなー。(見つけてないだけ?)

 

 

 

 

碓氷峠の三叉路を軽井沢に向かって右折し、別荘地沿いの山道をしばらく走ると、旧碓氷峠へ行くことができます。この道も路面が濡れてて滑りそうでなかなかスリリングでした...。

 

 

 

 

旧碓氷峠にある熊野神社。

鳥居の前にある白い石の表示に、右が群馬県、左が長野県と書かれています。

長野県(軽井沢町)側からはここまで車やバイクで来ることができますが、横川側からここまでは歩きでしか来れません。

 

熊野神社境内、そんなに大きな社ではないけど、なかなかの雰囲気だなー。

 

 

(改版時追記)

この境内には2つの神社が祀られており、写真の熊野神社は群馬県側、反対側の長野県側には熊野皇大神社があります。

 

 

 

 

熊野神社の狛犬。

 

室町時代中期の作と伝えられ長野県内では一番古いものである。向かって右側(雄)は口を開いた阿(あ)、左側(雌)は口を閉じた叫(うん)の像で一対となっている。狛犬は中国で陸前に魔物撃退のために置かれたのが最初で本来威嚇を目的としているが、ここの狛犬は極めて素朴で親しみを感じさせている。

 -軽井沢町教育委員会、文化財審議委員会-

 

だそうです。なるほどねぇ...。

 

見晴台へ足を運んでみました。

霧、そして雨もパラパラ。とても見晴らしを楽しむ状況じゃないし、オマケに他に訪れる人たちはカップルばっかだし、ジャマだよ>自分。(ぉぃ

 

 

 

 

旧碓氷峠から、旧軽井沢の街を抜けて軽井沢町に降りました。

この「旧軽井沢」を通ったのが実は失敗、一大観光地ゆえにほとんど歩行者天国状態の中をバイクでソロリソロリ、しずしずと通り抜けるハメに...。(笑)

 

 

 

 

軽井沢駅から行くと軽井沢銀座の一番奥にある「軽井沢ショー記念礼拝堂」があります。(ちょっとブレてますね。)

‘久々だなぁ...。’って、ツーリングとはいえ男一人で行くところじゃないよな...。(-。-;

 

旧軽銀座を抜けて白糸ハイランドウェイに向かうと見えてくる旧三笠ホテル前を通過、こちらもバイクにまたがったまま撮影。

 

‘男ひとりで立ち寄ってもなぁ...。’って感じだし。(笑)

 

 

 

 

白糸ハイランドウェイを通って、峰の茶屋の交差点まで来ました。‘浅間サーキット’はもうすぐ!! のハズです。

ちなみに、白糸ハイランドウェイは自動車専用道路、つまり歩行者や自転車は通行できないらしい。...ってことは、チャリダーは白糸の滝を訪れることができないってことか。

 

 

 

 

国道146号との合流地点にある、小説「汚れた英雄」にも登場する「峰ノ茶屋」

もっとクラシック(?!)なイメージを想像してたんだけど、少々期待はずれでした。(笑)

 

峰ノ茶屋から国道146号を北へ1.7kmほど走ると、太平洋クラブ(ゴルフ場)入り口の看板があります。

ここは小説では‘県境’と表現されているところですね、ここを右折。

 

 

 

 

あったぁ!!

 

ここが、あの日本初のクローズド・サーキット、浅間高原自動車テストコース(の跡地)です。

一目見た瞬間、かなりの感動...。

 

長野原町側はその跡形もなく浅間牧場の牧草地になっていましたが、嬬恋村側は当時の面影を残したままになっていました。現在のコースは全長約2kmほどのダートコースとして、嬬恋村が所有し地元の「浅間モータースポーツクラブ」が委託を受けて管理してるそうです。

そしてこのコースは整備費用(火山灰が深くて1日に何度もブルドーザーで整備する必要があるとか。)を含めて1日15万円で利用できるとか。

 

(改版時追記)

現在は国道146号より東側は全て群馬県長野原町となっています。また、浅間高原牧場の牧草地内も、コースの一部が牧草地の道路として使われています。旧嬬恋村内に残されていた浅間高原自動車テストコースは、現在「浅間サーキット」と呼ばれ、2輪/4輪の様々なイベント・レース等が催されているようです。

 

 

 

 

浅間サーキット(跡)の入口を発見!

‘村有地に付き立入禁止’ ん〜見なかったことにしよう。ヽ(´▽`)/へへっ

 

閉鎖された入り口から何の躊躇いもなく敷地内へ突入、北野晶夫もここを通ってサーキットへ来たんだよなー...って実在しないけど。(笑)

 

いちおうバイクは入り口の脇に移動しておきました。

 

 

 

 

ホームストレッチにあたる部分(のはず)

コースが造られた頃、スタート/ゴール付近は幅20m位、他の部分も8m位あったらしいけどその面影は全くと言えるほどありませんね。

 

路面?地面?のアップです。

火山灰が混じった砂利道と云ったカンジ、約40年前の今頃、この地面を固めて日本最初のサーキットがここに作られていたのです!!

ちょっと信じられない...。

 

 

 

 

こちらは小森カーブへ向かう、通称「センセーショナルストレート」

ホームストレッチと比べると幅は少し狭いですね。 当時も見通しが悪かったのかなぁ?違う気がするけど。

 

帰宅後、「2kmだったらコースを歩いてみれば良かったなぁ...。」と少々後悔。

 

表の道路を太平洋クラブ方面に少し進み、ここ

「浅間を憶うライダーが立てたのだろうか?浅間火山レース跡を示す手作りの看板を発見した。」

 

と、とあるサイトで紹介されていた看板を発見。

形からして間違い無いけど、残念ながら文字等は全く残っていなかったです。

 

 

 

 

浅間牧場側はまるで別世界、サーキットの右半分の面影は全くありません。

牧場の敷地内に入れれば、航空写真に写っていたヘアピンのあたりとかにも行って見てみたかったんだけど...、まぁしかたないです。

 

‘浅間サーキット跡’を後にして、次は浅間記念館へ。

それにしても、すっきりしない天気だなぁ...。ちょっと残念。

 

 

 

 

浅間サーキット(浅間高原自動車テストコース)を後にして、この日の最終目的地である、浅間火山博物館の敷地内にある、「浅間記念館」へ向かいます。

 

浅間記念館は、1955年から1959年にかけて、この地で行われた浅間火山レースが、世界一の二輪車王国の基礎を築くと共に、モーターサイクルスポーツの発祥の地として多くの優れた人材を輩出したことを語り継ぎ、末永く記念するために、二輪を介して浅間記念館建設と保存をテーマに活動を展開しているアマチュアのクラブである浅間ミーティングクラブと、地元長野原町が協力して1989年5月に開館したものです。」

 

浅間ミーティングクラブWebサイトより引用させていただきました。)

 

 

 

 

浅間高原レースを記念して設立された浅間記念館は、浅間火山博物館に向かって左手の少し奥まったところにありま した。

 

浅間記念館の中には、当時のオートバイや、第1回大会時のスタート横断幕などが数多く展示されています。

 

 

 

 

モナークF1(1959年)

モナークは英国ヴェロセット社の単気筒エンジンを範として作られたマシンだそうで、このマシンは1959年の第2会全日本モーターサイクル・クラブマンレースのライト級に出場し、中島徹男選手のライディングで31台中9位に入賞したマシン。

 

これは1957年の浅間高原レース第2回大会で500ccクラスに出場し優勝した杉田和臣選手がライディングしたメグロ5の実車だそうです。

このマシンを始め、当時を忍ばせる多くの展示品にはホントに感動モノですね。(詳細は別の機会に。)

 

 

 

 

浅間記念館で「浅間高原レース」を、そうだなぁ...1時間くらいは「アサマ」を満喫しまくりだったかもなー。(笑)

空が薄暗くなり始めて、雨が降り出しそうな気配。

この日の予定はこれでひと通り終了、あとは吾妻渓谷を経由してひたすら帰宅、頑張って走ろう。

 

 

 

 

...と、その前に、浅間記念館から国道146号に戻り2kmほど北上したところに、40年前の11月に開催された第1回浅間高原レースのスタート地点だったことを表す記念碑が建っています。

 

でも、今までにどのくらいの人たちがこれに気づいたんだろう?

 

浅間記念館に掲示されていた写真、左の写真とだいたい同じ位置になるはずです。もしかしたら写真右側の木は当時のままなのかなぁ?

 

 

 

 

 

スタート地点脇のコンビニの駐車場の一角に、こんな記念碑が建てられていました。

 

戦後の輸出立国をめざしてバイクの性能向上をはかるため通産省委託事業として公道を利用した第1回浅間高原レース[第1回全日本オートバイ耐久レース]が1955年11月に開催された。

 
 

5日

ライトウェイト級(250cc)

ウルトラライトウェイト級(125cc)

 

6日

ジュニア級(350cc)

シニア級(500cc)

 

「へぇ〜、通産省(当時)の委託事業ねぇ...。」、まさにそんなカンジです。公道レースなのにだよ?って云うか。(笑)

 

浅間高原を後にして帰途に。国道146号から145号を走ります。

ここから渋川までは渓谷沿いの道が続きますが、吾妻渓谷は「関東の耶馬渓」とも云われるらしいです。

でも、そもそも耶馬渓知ってる人って関東にどのくらいいるんだろ? 自分は知ってる人のひとりなんですけどね。(笑)

 

 

 

 

 

その吾妻渓谷の途中で自分を取ってみました。(笑)

シールドはスモークじゃないんだけど、夕方だからかなぁ...、って遊んでないで早く帰りましょう。

 

渋川伊香保ICに入る前にある「道の駅こもち」で最後の休憩、さすがにちょっと疲れたかな?

あとは高速1時間+下道1時間の耐久です。(笑)

 

 

 

 

全走行距離は約370km。そのうち高速が約140km/一般道が230kmくらいの道のりでした。

渋滞の影響も無く、今回は地図を見ながら走った(信号待ちの時とかに、ですよ。)ので道を間違えることも無かったし、前回より疲れなかったなー。

天気も、旧軽井沢峠を訪れている時に少し降られた程度でなんとか保ってくれて良かったです。

 

ただ、国道146号だったかな?気温表示:12℃には驚いた。今回はちゃんとしたウェアを着てったので問題は無かったけど、もう少し寒くなると足が冷えるなぁ...ってところでした。

もう一度、今度は天気が良く浅間山がしっかり見える時期に行ってみたいと思います。

 

 


 

 

 

 

(改版:2016/10/08

 

 

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