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■ 死

2017年6月28日(水)曇り

 

 

 

原田さんのお母さんの四十九日が昨日行われたそうだ。また、先週、フリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなった。

原田さんのお母さんは2014年の8耐ウィーク中に体長を崩し、決勝日の朝は危篤状態に陥っていたと後になって聞いた。その後は快復したものの今年の春から再び悪化、菅生Rd.の金曜未明に息を引き取ったことをレース後に知った。

原田さんは、もしかしたら内心はレースどころではなかったのかもしれない。

 

親父が死んだ時、息を引き取る少し前...1〜2週間くらいだっただろうか、その頃は既に必死に痛みと苦しさにひたすら耐えるだけの毎日になっていた頃だったが、それでも「もう少しガマンすれば、もう少し頑張れば大丈夫だ、楽になるはずだ。」と、どこかで楽観視していた自分がいた。病院勤めをしていたお袋にすれば暢気なヤツだと思っただろうが、「(親父が)死ぬ」と云うことが、なかなか受け入れられなかった、現実味が無かった、考えられなかったのだと思う。

 

いつだったか、原田さんのお母さんも2014年の重篤な状態から回復しつつあったと聞いていたが、まさか(再び)そんなに悪くなっているとは知らず、元気になっているとばかり思っていたが、実際にはもしかしたら2014年夏からずっと病院暮らしが続いていたのかもしれない。

原田さんも、ご家族の方もきっと辛い思いをしてきたのだろうけれど、そんな原田さんに対して、今は言葉が思いつかない。小林麻央さんが亡くなり追悼番組が放送されたりもして、ネット等で多くの言葉が寄せられているそうたが、「安らかに...」「ご冥福を...」等、ありきたりな言葉を口に(文字に)する気にはなれない。何を云ったら良いのかもわからない、そんな気分だ...。

 

 

 

 

■ 新たな仕事?

2017年6月25日(日)雨のち曇り

 

 

 

先週から仕事が変わることになった。

仕事と云っても、プロジェクトを背負う訳でもないし部門や組織を担う訳でもない。この先どうなるかはわからないが、当面は ‘とあるプロジェクト’ の後方支援とでも云えば良いだろうか。

勤務地も変わる。新たな勤務地は赤坂見附、昔火災で多くの犠牲者を出したホテルニュージャパンの跡地の隣のビルだ。

 

その一方で、これまで関わってきた仕事からは事実上離れることになるだろう。新しい仕事の負荷がそれほど高いとは思えないが、これまでの仕事に関わり続ける理由も無いのだろう。

 

新しい仕事が「おもしろい」とは思えそうにないのも事実。

開き直って程々にやって行くしかないのだろうか?

 

 

 

 

2017年6月20日(火)晴

 

やってらんねぇよ。

 

 

 

 

■ もてぎRd.

2017年6月14日(水)晴

 

 

 

今年も木曜日からガレハラ搬入のお手伝い。

原田さんはノーポイントが続いているからなのか、レギュラーライダーにも拘わらず何故か仮設ピットテント、けれどもJ-GP2ランキング8位の岩崎選手のチームでさえそうなのだから、何か別の理由があるのだろう。

 

 

原田さんは、金曜日のフリー走行こそある程度良い感じで走り出したものの、予選、決勝とセッティングが詰め切れなかった様子で、残念ながらポイント獲得に至らず。決勝中のラップタイムも安定しきれず、原田さん自身の体調(視野問題)も厳しかったようだが、それ以上に足回りのセッティングが出ていないことが影響しているようだ。

その決勝、最終ラップにトップを独走していた中須賀が転倒すると云う結末。その原因が酷い話で、V字の立ち上がりで中須賀が原田さんのリアに接触、「バックマーカー(原田さんのこと)が急にインに入ってきたため接触し転倒して...」とMFJのレースレポートに記載されているが、どう見ても後ろからオカマを掘りそうになったとした見えないし、誰が見てもそう思うはずだ。なのにその接触で原田さんに対して「ゼッケンNo.49/MFJ国内競技規則 付則5 28項 9)を適用し、ペナルティーポイント3点を科した。」とある。そうでもしないとヤマハと中須賀のメンツが立たないのだろうが、適用された規則内容が「 9)その他、前項に類似する不適切な行為」と云うのも、それを表していると思う。

その一方で、冷めた目でリザルトを見る限り、20位以内でゴールすると云うのは、現状の原田さんにとって相当厳しいのが現実とも思う。決勝中に53"台を記録している光矩くんでさえ20位、ギリギリポイント圏内なのだから、全体のレベルが上がっているのは間違いない。

 

もっと大変なのはダニさん、金曜日の1回目のフリー走行で転倒しまたしてもドクターヘリ搬送、今度は腰椎破裂骨折と云う重傷を負ってしまったそうだ。長男の話では破裂の場合骨の ‘復元’ 手術が必要で入院も長引く可能性があるそうだ。しばらくして落ち着いた頃を見計らいお見舞いに行こうと...と思っていたら、既に1回目の手術を終え、コルセットを装着し普通に歩いているらしい。「マジ?」と思ったが、近日中に2回目の手術があるようで、まだしばらくは辛抱だろう。なんにしても今はレース云々よりもきちんと治して欲しい、本人は岡山に出場する気でいるらしいが...。(まぁ、相当悔しいのもあるのだろう。)

 

そして黒川さんもスポット参戦、予選20番手と云う結果に、「もしかしたらポイント獲得して最終戦鈴鹿を走る黒川さんを見られるか?」と期待したが、決勝はどうやらスタートでヘタこいたらしく23位でゴール、残念ながらポイント獲得に至らず。スタートさえ失敗しなきゃなぁ...と云うのはシロウト考えだが、ST600もドライでは58"台を出さないとポイント圏内が厳しいのかもしれない。

 

そんなバタバタしたもてぎRd.だったが、一番のサプライズはガレハラの8耐(繰り上げ)出場が決まったこと、外国チームが出場を辞退したために、ガレハラの出場が「主催者推薦枠」で決まり、土曜午後(予選の後だったかな?)にようやくその旨の連絡があった。

今年は早くから宣言していた「鈴鹿8耐出場を目指す」を諦めていたガレハラだったが、出場が急遽決まったら決まったで、今度は準備が大変、8耐まであとひと月半しかないし、その間に第5戦APもあるし、果たして準備が間に合うのだろうかと心配になってしまう。とは云っても間に合わせるしかないだろうし、自分が心配したからと云ってもなんにもならないが...。)

そうは云っても、原田さん自身が目指した8耐参戦が実現したことは本当に良かったと思うし自分も嬉しい。そして澤井さん達ガレハラのスタッフが「次は鈴鹿で!」と云ってくれるのも本当に嬉しい。

自分にとって大きな ‘楽しみ’ がまたひとつ増えたことは間違いなく、今年は思いきって木曜のフリー走行時から鈴鹿入りするつもりで計画している。(笑)

 

 

 

 

■ (雑記)

2017年6月6日(火)晴

 

 

 

写真は先月最終土曜日にツーリングで訪れた秩父高原牧場のポピー畑。昨年は「へぇ〜。」と思いながら通り過ぎたが、今年は足を停めてみた。男独りだったら間違いなく足を停めなかったと思うが...。(笑)

天気が悪かった(麓は雨が上がったが山の上は思いっきり濃霧真っ直中)にも関わらずそこそこの賑わいだったから、天気が良かったら羊山の芝桜のような事になってしまうのだろうか?(笑)

自分独りでは無かったのでいつものような弾丸的ツーリングではなかったが、たまにはそんなのもありだろう。

 

仕事は相変わらずおもしろくない(と云うか「充実」と云う文字を裏返し?真逆?にした様な状況)、管理責任を取らされた事は仕方ないとしても、その結果がこれか? なんだか自分が一番「割に合わない」状況じゃないか、と云うか、それは間違いないだろう、どうして(オレだけ)こんな目に合わされるのか?とさえ思えてくる。誰がこうしたかが判ってしまうから余計に腹立たしいが...。そんな中、今のポジションで新たな仕事?を見いだせば良いのかもしれないが、なかなかそう云う気分になれないのが本音だ...。

 

気分転換と云うつもりはサラサラ無いが、今週末は全日本第4戦(もてぎ)、原田さんはもちろんだが、ダニさん、そして黒川さんも走る。今年も木曜日からガレハラのサポートに足を運ぶが、幸いなことに金曜(6/9)は4/29(土)の振り替えで休日、まぁ平日だったとしても関係無いが。(笑)

ふと、昨年までは毎月2週目は予算推定がありなかなか休みにくかった事もあったことを思い出した。(それでも調整して休んでいたが。(笑))今年は(と云うか ‘今’ は)部門長の責務が無くなった分、かなり自由が利くのは間違いない。だから秋(9月)のAPも真剣に考えているどころか、完全にツーリングを計画し始めている。下期がどうなるか、自分の立ち位置がどうなるか、予想もつかないが、そんな事を気にしても仕方ないし、気にしていたら何も楽しめないし。

 

 

 

 

 

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