2016年3月

 

 

 

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■順調

2016年3月30日(水)曇り

 

 

 

先週の金曜夕刻頃が腫れと痛みのピークだっただろうか?その日の朝眼が覚めた際に左目になんとなく違和感...目がちゃんと開かないと少し焦ったが、まぶたの周辺が青く腫れていたためだった。縫合した唇周りも普段の2倍の厚さになったような感覚で、ケガ当日より腫れが広がっていた。しかしその腫れや痛みは日が経つ毎に徐々に治まり、それと引き替えに口の中が口内炎だらけになってしまった。むしろこれの痛みの方がキツかったかもしれない。

そして今日は2回目の診察。

骨折部分はまだ若干腫れているが特に問題は無さそうで、鼻腔に詰め込まれた脱脂綿?を抜き取り、縫合した傷の抜糸...上唇部分は瘡蓋が重なって取り切れず来週になったが...怪我前から酷かった鼻炎も治まりつつあるようで、ようやく鼻周りが軽快な状態に戻りつつある気がする。

鼻のプロテクター?はあと1〜2週間の辛抱だろうか?外れたら傷ついてしまった眼鏡も新調しないといけないし。

 

冗談半分と云うことは無いが、「こんなアホな投稿をするくらいだから大丈夫ですよー。」のつもりでFBに投稿をしたら、思いもよらない方面から心配をされてしまった。同じ様な失敗をLINEでもやってしまい、こうなってくるとヘタな投稿はできないな...と考えてしまう。ヘタな、と云うよりも安易な、が正しいかもしれないが、「どこで誰がどう見ているか(見張っているか、とも云えそうだ)、わかりゃしない...。」 今どきのネット社会の悪い面が自分自身にも降りかかってくると思える気がする。全ては自分の投稿内容次第だが、当たり障り無く誰からも良い目で見られるような投稿なんて難しいし、いっそのこと止めた方が良いのかもしれない...とさえ思える。世知辛い世の中だ。

 

 

 

 

■Accident?

2016年3月25日(木)雨のち晴れ

 

 

 

ちょっとした不注意だと 思うが、朝の出勤途中に転んで顔面を強打してしまったらしく、鼻骨骨折、傷口2ヶ所縫合と云う傷、何をやっているんだか...としか云えない。

事故の時と違い直前までの記憶はあるが、転倒した瞬間から自宅までどうやって戻ったかは覚えてない。救急が迎えに来て越谷の病院で脳のCTを撮るも問題無し、ただし鼻が折れていると云うことで、形成外科のある獨協越谷病院へ行くことに。

「手術が必要ですね」に若干?ビビる。

局所麻酔で今やるか、全身麻酔で来週やるか。違いはガマンできるか否か、さらにビビる。ただし、全身麻酔だと最低2泊3日、局所麻酔なら終わったらすぐ帰れる。

少し迷ったが覚悟を決めて「今日やってください。」 怖いなー...と云う気持ちはしまい込んでおく。(笑)

鼻と裂傷の周りに麻酔の注射を打つが、これが痛いのなんの(泣)鼻の中に骨を固定する治具?が突っ込まれるのもキツかったが、麻酔が効いているせいか、注射よりマシだった。

ひと通りの処置が終わり帰宅したのが16時頃だっただろうか? 毎度ながらカミさんには申し訳無く思う。

 

昨日も朝から実家に行かざるを得なくなったが、そんな事もあったりしたせいなのか、自分自身はそれほど疲れているとは思っていないのに、周りから見れば相当疲れているように見えるらしい。集中力が途切れていたのかなぁ...?とも思うが、それだとしてもなんだか情けなくて仕方がない。

縫合したところは1週間ほど、折れた鼻は3週間ほど固定しておく必要があるらしいが、それよりもこの擦過傷と腫れた唇が治まらないものかと、仕事に行くことや外出することを考えると憂鬱になるが、諦めるしかないね。

 

 

 

 

■伊勢鳥羽

2016年3月21日(月)曇りのち晴れ

 

 

 

先週末の土日に、義父母、義弟夫婦と共に鳥羽と伊勢へ。

‘受け取る理由の無いお金’(個人的にはそんな事も無いと思うのだが...。)を手元に置いておきたくないと云う話だったので、「それなら旅行に行って パーッと使ってしまおう!」と云う事になって(言い出しっぺはオレだったが。)、幹事を義弟夫婦に任せて実現した旅行だ。

正直なところ、妹とお袋が心配であまり気乗りがしなかったが、以前から決まっていた話だし「今さら自分だけ行きません。」と云う 訳にもいかず、気持ちを切り替えて行く事にした。

妹はおそらく ‘相変わらず’ な調子だったはずだが、お袋は大丈夫と云う。「ホントかよ...。」としか思えないが、それを信じるしかない。

 

旅行に際しては足腰の衰えた義父の体力が少々心配だったが、義弟夫婦が無理をしないプランを立ててくれたこともあり、良い旅行になったと思う。2年半前に自分が事故を起こした事で伊勢〜熊野旅行 をキャンセルしたこともあり(今から思えば自分が事故らなくても、そのころのカミさんの隊長では無理だっただろう。)、自分としても伊勢は少し楽しみだったのも事実だ。もう少しゆっくり見て回りたいと云う気持ちもあったが、今回は自分たちが中心の旅行ではないから、特に義父母のペースに合わせる他はない。まぁ、もう一度来れば良いことだし、今回はそれで良しとした 。

ただ、行けばそれなりに楽しい旅行にはなったのだが、やはり自分はどこかで ‘外野’ と感じる事があったり、いくら歳を取ったとは云っても両親が元気に揃って旅行に行けるカミさん姉弟を羨ましく思ったり、ちょっと複雑な心境だったのも事実。

とは云え自分の親兄弟は、今はとてもじゃないが旅行に行けるような状態では無いし、たとえ行けたとしても、とてもじゃないが「兄妹で相談して 」親に楽しんでもらうと云う事もできる訳がない。「どうしてうちは...。」、その答えなど無いが、それがうちの現実なのだと思うしかない。

 

今日はお彼岸。

いつもなら親父の墓参りを欠かさないのだが今日は見送ることにしていた。家の事や子供(次男)の事もあるし、できればカミさんを巻き込みたくないと云う気持ちもあったので、自分独りで実家に足を運んだが、妹は状態も変わらずのままだし とてものんびり墓参りに...と云う様子でもなかったので、今回はそれで正解だったと思う。

この状況を親父が生きていたらどんな風に思っただろう? 親父が生きていなくて良かったとまでは云わないが、 生きていたら85歳、その歳でこの状況を知り得ることが無くて良かったと思う。

 

 

少し疲れた...。

頑張るしかないけど。

 

 

 

 

■ダンロップ α-13SP プレス試乗会

2016年3月17日(木)晴れ

 

 

 

「試乗会」と云っても、もちろん自分が乗る訳では無いが、久しぶりに筑波まで足を運んだ。

原田さんの3/14:鈴鹿、3/15:筑波と云う予定は前から公表されていたが、何をしに筑波まで来るかは前日まで わからなかったし、サーキットのカレンダーにもこの日のスケジュールは何も記載されていなかった。

この日は原田さんが開発(テスト)を担当してきた、ダンロップ α-13SPのプレス向け試乗会が行われたのだが、 コース2000は試乗会で占有され関係者のみ、ダンロップ側も蒼々たるライダー(元世界クラス...北川さん、八代さん、上田さん、仲城さん、他) が勢揃いだし、プレスの契約ライダー(宮城さん他)も同様で、試乗会なのになかなか興味深かった。

 

α-13SPは、ピレリのディアブロスーパーコルサをターゲットに開発された「公道も走れるサーキット用タイヤ」(ダンロップ社説明そのまま)だそうだ。もう少し公道向けだったら14Rに履かせても...と思ったりもしたが、そもそもサーキット向けと云うことだし、 ツーリング主体の場合はどうなんだろう?

ダンロップが用意した、α-13SPを履かせた試乗車はBMW等の市販車だけど、宮城さん達契約ライダーはなかなか?そこそこ?のペースで周回を重ねている。(中にはそうでないライダーもいたが...。(笑))そんなをのを見ていると、間違ってもあんなペースでは走れないだろうが、自分もコースを走ってみたくなった。(笑)

ちょっと後悔したのは、めんどくさがって終日A20で撮り続けていたこと。コース上を走る姿を撮るにはA20テレ端ではなぜかまともに撮れないことが多い。VCが流し撮りに適さないのかはわからないが...。

 

 

帰りがけに妹から着信、このところどうも調子が良くない様子で急遽実家に寄る。

薬が変わった(副作用が酷く換えてもらったらしい)せいなのか、離脱とも副作用とも思える不調で苦しんでいる様で、ある程度規則的に?パニック 発作を起こすようだ。本人も辛いだろうが、それに振り回される周囲もなかなかしんどいのも事実で、最も身近にいるお袋の心配が尽きない。

少しでも早く落ち着いてくれれば良いのだが...。

 

 

 

 

■高篠山

2016年3月14日(月)雨

 

 

 

今日は終日冷たい雨になったが、秩父はまた雪になったそうだ。

 

昨夏頃知った、野外活動センターの閉鎖。

いよいよ今月末3月31日で閉鎖となる。

 

閉鎖を知った頃と同じ頃に、たしか14期のカウンセラーが発起人となって歴代カウンセラー全体でのファイナル・イベントを催す計画があることも知った。

「いったい誰が参加するのだろう? 自分たちと同世代のカウンセラーは行くのだろうか?」

そんな事を少しだけ気にしているうちに年を越し、閉鎖まで残り3ヶ月を切った頃に同期のヤツにどうするか訪ねてみた。

「行っても知らない人ばかりじゃねぇ...。」

そんな会話がきっかけとなって「じゃあ仲間内で泊まりに行こう!」と云う話になったらしく、先週末の土日で行く事に。そう云えば夏休みのキャンプも確かそんな勢いで急遽決まった覚えがある。(笑)

利用計画(活動計画)はおろか、集合時間すら決まってないし、ロッジ利用なので食事の時間も決まっているはずだが「あれ?何時だっけ?」、(永久)幹事に任せっきりにしていたので偉そうなことは云えないが、「おいおい...。(笑)」

 

夏のキャンプはいつもログハウスかスクールテントだったのでロッジに泊まるのは本当に久しぶりだ。

記憶が曖昧だが、始まった頃の ‘たかしの会’ は、我が家も含め小さい子供が多かったのでロッジに泊まったような覚えがある。それ以来だとしても20年ぶりだし、記憶が違っていたらカウンセラー現役時代以来になるはずだから30年ぶりになるが、1975年の開設以来40年を過ぎた施設は、あちこちで修繕がされているものの、老朽化が進んでいるのは否めなかった。

自分たちがカウンセラーをやっていた頃、特に夏休みは空きが全く無いほど多くの人達が利用していたが、最近はその頃の賑わいを感じる事があまりなかった。運営が県の ‘直営’ から民間への委託になり、利用の仕方もかなり変わったりしたが、施設の古さ以上に ‘野外活動’ のスタイルそのものが変わり、野活はそれに合わなくなってしまったのかもしれない。そんな状況下での県の判断は「閉鎖」となったのだろう。

 

日曜の午前中は前日から降った雪がうっすら残る園内をみんなで散策、テント村役場の屋上に登り職員に注意されたのはナイショ。(笑)

冬期と云うこともあるだろうが、昨秋で閉鎖されたテント村、昨年末で閉鎖されたログハウス村(これまでは通年利用可だったと思う。)とも、‘放置’されたような状態だった。1棟だけ残されていた旧スクールテントは屋根部分が落ちて潰れていたし、「あぁ、やっぱり終わってしまうんだな...」と感じざるを得なかった。

 

思えば、どうにか?大学に合格した後、たまたま県民だよりでみつけた‘キャンプカウンセラー募集’、「キャンプ場のバイトかぁ、おもしろうそうだな」と興味本位で応募したのがきっかけだったけれど、それが自分の人生にこれほど大きな影響を与えることになるとは思いも寄らなかった。

今まで、カウンセラー現役時代から、大学を卒業した後始まった‘たかしの会’も含め、毎年当たり前のように訪れていた高篠山が無くなると云うことを、まだ現実として捉えることができていない感じだ。閉鎖後は施設を撤去し更地に戻すと云う話も聞いた。それが本当かどうかはわからないが、そうなって初めて「無くなったんだな...」と感じるんだと思う。

 

 

 

 

■うまくいかないね...

2016年3月10日(木)曇り

 

 

 

歯車が噛み合わないのか、歯車の歯が欠けてしまっているのか、そもそも歯車が不良品なのか...

「思うように」とまでは云わないけれど、このところ自分を取り巻く色々なことがうまく進んで行かないような気がする

 

その理由、原因がいったい何なのか

その一部は、いやもしかしたらその大半は自分に起因すると思うこともある

 

どうやったら、日々を穏やかに過ごせるのだろう?

自分がもっと穏やかな人間になれば良いのだろうか? でもきっとそれだけでは足りないだろう

けれど、いったい何が足りないのか

それが判れば少しは変わることもできるのかもしれない...。

 

 

     君にも 愛にも 疲れてしまい

     通り過ぎた 若き日を知る

     青春は たそがれて

     夢はひそかに 別れを告げる

 

     あゝ ありふれた 倖せに

     背を向けてゆく 勇気がほしい

     声をはりあげて 泣いてみるのも いいさ

     この街を 今歩いて

 

 

ふと頭に浮かんだ歌詞

 

行き着くところ、誰にも迷惑をかけないように

独りで生きていくのが良いのかも知れないな...。

 

 

 

 

 

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