2013年12月

 

 

 

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■年末

2013年12月30日(月)快晴

 

 

 

毎年12月30日は親父の命日。

親父が死んだ平成元年の翌年から、30日には墓参り、そして実家で年越しを過ごすと云うパターンの繰り返しで、思い返してみると‘自宅’で年を越さなかった事は、記憶の中では3回(そのうち1回は‘2000年問題’対応で現場待機だった 。)だけ。

それをどうとか云うつもりはないけど、たまには違う過ごし方をしてみたいな...と、TVで「年末年始を海外で過ごす...」と云うニュースを見てて、ふと思った。

 

今年は、9月の事故もあったけど、カミさんの病気に始まって病気に終わるシビアな1年になってしまったと、今さらながらつくづく思う。

来年こそは、平穏無事な1年になって欲しい。

 

 

 

■代表決定

2013年12月23日(月)快晴

 

 

 

今日は天皇誕生日、御年80歳になれらたそうだ。

昼間、買い物に出たついでに?川口で‘ZX-14’を見てきた。たぶん登録は’11年だけど2009年型‘MONSTER ENEGRY Edition’、かなりキレイなマシンで心が揺れた。

雨天走行は皆無?と思うくらいきれいだし、もちろんサビどころか鉄の曇りもないほどだし、タイヤも減ってないしサイドも使ってないし、車庫で眠らせたままになっていたんじゃないか?と思うほど。 でも車体105諭吉は ちょっと高すぎるよなぁ...。

 

フィギュア・スケートのソチ代表が決まった。

男子は羽生結弦、町田 樹、高橋大輔の3選手、女子は浅田真央、鈴木明子、村上佳菜子の3選手。

高橋大輔選手の滑りが見られるのは嬉しいけど、小塚選手が選ばれなかったのは残念だし、織田信成選手も運が無かったり巡り合わせが合わなかったり、と云うこともあるのかな?と思ったりした。

女子は大方予想通り的な結果。‘ママ’安藤美姫は総合7位に終わり引退を表明、個人的には彼女のダイナミックと云うか力強い滑りが好きだったので少し残念な気がするけど、男子の小塚選手と同様にこれも厳しい戦い、「結果が全て」の世界なのだろう。

 

あと5日で今年の仕事も終わる。例の件も含めてスッキリと年を越したいものだ。

 

 

 

 

■スケート

2013年12月22日(日)快晴

 

 

 

なんとなくつけたTVでやっていたフィギュアスケート全日本選手権。

高橋大輔選手は(たぶん)直前のケガが響き総合5位、ソチ・オリンピック代表選抜は難しそうな状況。優勝した羽生結弦選手は決定、2位の町田樹選手も当確、残りの一枠が3位小塚vs5位高橋、高橋選手はNHK杯での高得点がどう評価されるか、らしい。

選考基準も大会の得点の方式もしらないけど、個人的には高橋選手にソチに行って欲しいし彼の(最後の)活躍が見たいけど、難しいんだろうなぁ。

 

それにしても今週は忙しかったと云うか、慌ただしい1週間だった。

うちの部では無いけど、とある新人クンがやってしまった小さな‘過ち’がとんでもないことになるハメに。対外的にはギリギリのところで‘無かった事’になりそうだけど、社内での扱い...「おとしまえ」はこれからが本番、どうなることやら。

それにしても、どうして彼等...新人クンではなく、その上司...には‘主体性’がないまま仕事をするのだろう? 話をしていても「キミは評論家?コメンテーター?」と云いたくなることしばしばで、「誰かがやってくれる」と思っているのかどうか知らないが、まるで責任感が無いとしか思えない。

それと、会議(報告)の場で、とにかく大声でわめくオヤジ社員。そりゃあ許されないことなのはアンタの云うとおりだよ、だけど大声で威張り腐ってもねぇ。まぁ威張りたいならいくらでも威張ってどなってりゃ良いさ、それで地球が回るなら。(笑)

事業部長も細かいところはいろいろ云うけど、肝っ玉が据わってないのかなんなのか、肝心な所でちっともアテにならないし(この件だけではないような気が最近している。)、...とか考えていると休み明けの‘社内での扱い’対応に気が重くなる、ってうちの部の問題じゃないのになぁ...。

 

自分の事を百戦錬磨とはこれっぽっちも思わないけど、多少なりとも「打たれ強い」のはあるのかも。何とかを尽くして天命を待つしかないし、ね。

 

 

 

 

■お見舞い

2013年12月15日(日)快晴

 

 

 

風が強く寒い1日となった。

そんな中、黒川さんのお見舞いに行ってきた。

自分の事故の後、なかなか小山に足を運ぶチャンスと云うか、行くきっかけがなかったのと、黒川さんが金曜日に手術を受けた後、翌日の土曜日にはFBにUPしたりしていたので今日でも大丈夫だろうと、‘思い立ったが何とか’じゃないけど入院先の病院まで行くことに。

日曜日だし黒川さんの事だから他にお見舞いに来られる方もいるだろうなぁ...と思ったら、予想外に誰も来なかったので少し長居してしまったけど、たぶん迷惑にはならなかったと思う。

黒川さんと話していると、個性が強いことを時々感じるのと同時に人に対する気配りも感じることがある。事故の後のくだらないFBのやりとりもそう感じたことがあったけど、お見舞いに行って話していた中にもそれを感じた。それはやはりサラリーマン世界に生きる自分との違いなのか、そもそも持っているDNAの違いなのか、きっと両方に違いない。

何にしても、あんな迷惑をかけてしまったにも関わらず「また走りましょう」と云ってくれるのはホントに嬉しい。

 

黒川さんの骨折は左足首のくるぶし周りだったそうだけど、骨折の周辺が感染症にかかっていた様子で、単なる抜釘だけではなく周りの痛んでしまっていた組織の一部も切除したらしい。術前の心配ほど酷いことにはなっていなかったそうなので、後はビスを抜いた骨がしっかり埋まって傷口がきちんと治ることを待つだけらしい。

確か来月は原田さんの番...‘番’と云うのも変だけど、原田さんも無事終わる事を願うのみだ。

 

 

 

 

■放射線終了

2013年12月12日(木)晴れ

 

昨日でカミさんの放射線治療(合計25回)が無事終了、放射線治療の途中で、平行して始まったホルモン療法を中断...したせいかはわからないけど、先週末頃からは至って普通の調子に戻ったのでひと安心。

...とは云っても、今日の診察で別の薬(アリミデックスと云う薬らしい。)でホルモン療法を再開するとの事。また副作用?心理作用?で悩まされなければ良いんだけど。

 

自分も通院終了を保険会社に伝える。

考えてみたら先週末からバストバンドを着けてないな。

中川先生が、「アンタの場合骨がずれてるから後遺障害が認定されるかも知れないよ。保険会社に連絡しなさい。」と。ある意味、親切な先生だ。(笑)

その旨を長村さん(保険会社の担当の方)に伝えると、申請に必要な書類を送るとの事。正直、認定されるとは思っていないけど、やっぱり黙っていたら「自動的に」支払われるモノじゃないことは確かだと云う事を改めて実感。

ちなみに長村さんの話を基に調べてみると、後遺障害は保険会社が認定判断をするのではなく、損害保険料算出機構の自賠責損害調査事務所と云うところが判断するらしい。

どうなることやら。

それより早く‘候補車’が見つからないかな。

 

そう云えば黒川さんは今日から入院、明日手術だそうだ。3年前の全日本最終戦(もてぎ)のクラッシュで骨折した左足首の抜釘とのこと。ただ、ケガをしたところの状態が良くないらしく、金具を抜いてハイ終わりと云う訳にはいかないらしい。

師匠にはちゃんと治ってもらわないとリベンジできないぞ。

 

 

 

 

■通院終了

2013年12月11日( 水)晴れ

 

9月の事故で負ったケガの治療も今週で終わり。

ごくたまに痛みを感じるときもあるけど、何となく...程度だし、治療継続=保険金支払いもされないし、それ以前に‘大した痛みもないのにいつまでもダラダラ通院...’と云う状況が嫌になってきた。

 

保険金を少しでも多く受け取るなら、とにかく通院期間が少しでも長い方が良いらしい。‘金’とか云うどこかのクソ韓●人のようにほとんど自爆のような事故で大したケガでもないのに「治らない、事故のせいだ」と言い続ければ保険会社は保険金を支払うのだから。

幾ら保険金を受け取ったって腐った人間の脳ミソは治療のしようがないが。

 

もうひとつダラダラしているのが嫌になったこと、それはバイクの事。

カミさんの病気やらいろいろ重なったこともあって、自分だけ好き勝手なことしていて良いのだろうか?と云う気持ちが決心にブレーキをかけていたけど、でもこのまま何もしない(趣味をあきらめる)ことはやっぱり自分には不可能だし...と云うモヤモヤ感にも疲れて嫌になった。

 

そのバイク、ZZRの修理をあきらめ買い換えを決意。

価格も含めて他車を考えようとも思ったけど、バイク屋でZZR以外のバイクを見る気が全く無いと云えるほどで、‘どれだけZZRに惚れてたんだ?’と自分でも笑ってしまうけど、その一方で壊してしまったZZRには凄く罪悪感を感じるのもあり少し複雑。

‘新’ZZRはおおよその予算と年式を決めてLIRICAに依頼。具体的には2008年以降の黒を希望。今まで乗ってきた‘Pearl Meteor Glay’にしたい気持ちが今もあるけれど、そうするとどうしてもどこかで「前のZZRはこうだったよな...。」と比べてしまいそうな気がするので、あえて避けることに。

 

この際だから思い切って新車...とはナゼか思わない。何軒か新旧ZZRが並べられているバイク屋もあったけど、ナゼか惹かれない。(笑)

年内くらいに候補が見つかると良いなぁ。

 

 

 

 

■伯父

2013年12月10日( 火)雨のち晴れ

 

 

 

今日は伯父の告別式だった。

享年85歳、1年ほど前から肺を患っていたらしく先週還らぬ人となった。

肺を患っていた...肺ガンだったとも聞いたけど、伯父は親父のように苦しむこともなく静かに息を引き取ったとのことなので、それがせめてもの救いだ っただろう。

ただ、人間の定めとは云え、やはり身近な人が少しずつ少なくなって行くのは淋しさを覚える。

 

親父の兄弟は全部で9人、自分が生まれる前に亡くなった2人(2人とも事故で亡くなったそうだ。)を除き自分が知っている伯父・伯母は7人いたのに、残るのは後2人になってしまった。2人の伯父達は何を思うのだろう...。

両親はオレが生まれた頃川崎に住んでいたこともあったらしいし、親父が亡くなった伯父と仲良かったから時々仕事帰りに伯父の家に寄ってきたらしいけど、もう川崎に行くこともないのかもしれないなぁ...と思うと、淋しいと云うか少し複雑な心境。

 

今頃、親父が‘あっちの世界’で「兄さん、よく来たなぁ。」とか云って出迎えてるだろう。

 

 

 

 

■愚痴

2013年12月 1日(日)快晴

 

 

 

誰に愚痴る訳にもいかず、ここで・文字で愚痴るしか無いワケで。

先週の木曜日につまらない所で‘不安のスイッチ’をポチッと押されてしまったためか、金曜日頃から再びカミさんが絶不調、10月中旬頃とまったく同じ状態に逆戻りと云うか。

 

放射線治療は極めて順調に進んで、副作用というか放射線照射(?)の影響もほとんど無く進んであと8回を残すのみ。

放射線治療が始まって1週間ほどしてから始められたホルモン療法の副作用も(ほとんど)見られず、本人も毎日病院までウォーキングで行っていたくらい元気を取り戻していたのに、病院の(それも主治医でない)先生の些細なひと言が、かみさんの心の底に居座っている‘副作用のトラウマ’を目覚めさせてしまった様で、手がしびれる症状(本人曰く、ホルモン療法の副作用らしいが、木曜日まではそんなことほとんど口にしなかった。)があることは別としても、具体的に何処が調子悪いとか云う前に、思いっきり‘鬱’状態に陥ってるような感じで、もう手のつけようがないと云うか。

放射線治療はもうすぐおわるけどホルモン療法は5年〜10年継続、多少の浮き沈みは仕方ないとしても、今のような状態が何度もあるようじゃ、本人もだろうけどこっちもたまったモンじゃない。

こうなってしまうと、もう放っておくしか手がない(何を云ったって・したってムダとしか思えなくなってくる。)んだけど、そうは云ってもカミさんの代わりに家事をぜんぶやらなきゃいけないから、自分の時間も無いけどそれ以上に気持ちの余裕もないし、ふと「ZZRがあったらなぁ...。」とも、昨日も今日も思ったけど、こんな状況の、状態の中で自分だけバイクを乗り回しているワケにもいかないだろうし、そんな気にもならない・なれないような気もするし、それ以前に乗るバイクもないけど。

 

仕事でも精神的に行き詰まりかけている上に、家に帰ってきても、鬱のカミさんと、相変わらず後先考えない アホな次男を目の前にして、いったいオレはどこで肩の力を抜けば良いんだ?

こっちが参ってしまいそうだよ。オマケにチャリはまたパンクしてるし...。

 

 

 

 

 

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