2013年7月

 

 

 

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■ それぞれの8耐

2013年7月30日(火)曇り一時雨 

 

 

 

2013年の8耐が終わった。

今年の8耐は、今までの観戦とはかなり違う8耐になった。

 

レースファンのひとりとしての8耐は、レース序盤トップを独走していたTSRの清成選手が突然ハイサイド?転倒・リタイアとなってしまったり、昨年劇的な3位争いをしたエヴァはトラブルに見舞われ12位と云う予想外の結果だったりで、波乱のあるレースだった。

 

ガレージハラダ、昨年のペアライダーだった井上哲悟選手は昨年末に事故で両腕を骨折、そのケガのため今年のレース活動停止を余儀なくされた。原田さん、もしかしたら本当は今年ももう一度井上選手と走りたかったんじゃないだろうか?

そのガレハラ、今年は分身1号が親しくしている岡村光矩選手、そして光矩君が推薦したらしい田中公司選手の3名体制での参戦となった。

光矩君、今年は月木レーシングからアジア選手権に参戦しているが、原田さんの話ではOGK(ヘルメット)の‘口添え’があってガレハラで走ることになったらしい。

田中さんは、本業が佐世保のバイク屋さんで、九州(AP)の地方戦を舞台に走っているそうだが、安全運転特別指導員として全国大会での優勝経験もあるとか。原田さんとも前から縁があって今回の話になったらしい。

 

このふたり(特に光矩君)がガレハラのライダーとして8耐に参戦することになるまでにはいろいろな事情があったらしい。

原田さんは何度も「自分を殺した厳しいレースだった。」と口に下が、それはきっと「絶対に完走を果たし結果を残す事」が必要だったからじゃないか、今年はとにかく彼のために走ると云う、これまでとは違う責務が生じてしまったからじゃないか、とも思う。

 

光矩君自身は初めての1000cc、そして独特のセッティング(特にポジション)のガレハラZX-10Rを順調に乗りこなしてみせた。

決勝での最速ラップは2'13"658を記録、光矩君本人は「11秒台は出せる!」と云い切っていたけど、他人のバイクで絶対に転倒できないと云う状況でこのタイムは見事のひと言、ゴール直後は年甲斐もなく彼と抱き合って「カッコ良かったぜぇ!」と叫んじゃった位だ。(笑)

 

「目標は上位入賞でも完走でもなく、自分の仕事をする事」と話していた田中さんも、もしかすると光矩君のための走行を強いられていたのかもしれない。決勝は1スティント...約1時間のみの走行だったけど、田中さん本人も云っていた通り絶対にリスクを負わない安定した走りで周回を重ね、光矩君にしっかり‘たすき’を渡していたのは感慨深いものがあった。

 

 

結果は25位完走。

原田さんはこの結果に何を思うだろう。

 

ただ、ガレハラを囲む多くの人達に加えて、光矩君や田中さん、そして彼らを囲む多くの人達にも大きな感動を与えてくれたのは紛れもない事実だし、自分達もその中のひとりになったことは間違いない。

 

ありがとう、原田さん。

 

 

 

 

■ あれから1年...

2013年7月19日(金)晴れ 

 

 

 

ちょうど1年前の今日、‘彼’がいなくなったとご家族...奥さんから連絡を受けた日。

夜、22:00ちょっと過ぎ...22:09頃だったと記憶している...に電話連絡が入り、彼が出勤したか否かの確認の電話が最初だった。

同じ職場の仲間に確認すると、「体調が悪く電車を降りたので遅れる。」とメールが届いたきりで、その後は連絡が無かったとの事。

 

彼は家に「千葉県の鹿野山に向かう。」と‘書き置き’を残して行方がわからなくなった。

会社の仲間と連絡を取り、会社の前で待ち合わせてとり急ぎ鹿野山へ向かう。確か君津警察署でご家族の方々と合流して、鹿野山に着いたのは翌日(20日)未明の3:00前頃だった覚えがある。

20日(金)は地元の消防団や警察の人たちも出て総勢30名ほど+警察犬1頭で探したが大雨にも見舞われ見つからず。

21日(土)と22日(日)は会社の有志20名弱で手分けして探すもやはり見つからず。

彼はスマホで自宅PCに自分の居場所?を知らせてきていたし、彼が身につけていた携帯への着信時の基地局からの方角(DoCoMoに問い合わせた)を手掛かりにかなりの範囲を捜索したつもりだったけど、手掛かりはつかめなかった。

「きっと(死を)躊躇って出てくるだろう。」と云う期待を裏切って、彼は翌週の日曜日に弟さん達によって発見された、最悪の結果で...。

 

あれから1年

先日の一周忌の席で、彼のお母様の「云いたいことは山ほどあります。」のひと言が後になって重くのしかかっている。

彼が残した書き置きの中身を知り得ることはできないが、数年前に関わっていた仕事の厳しさから逃れようとしたのか、自分の‘範囲’を越えてお金を使ってしまい、その返済に追われ続け、自分の命でそれを精算すると云う方法を採ってしまったようだ。

「たかがお金で...?」

と今までは思ってきた。

けれど、お母様の「云いたいことは山ほどある。」の言葉、考え過ぎかもしれないがもしかしたら「息子を追い詰めたきっかけは会社/仕事」と云いたかったのかもしれない。確かにお金が彼の過ちだったとしても、そのきっかけは仕事だったのだから。

一周忌に、旅費を負担してまで呼んでくれたのだから...と思っていたが、もしかしたら義理と感情は違うところにあるのかもしれないと思うと、心がグッと苦しくなる。

 

でも、お母様はそれ以上は何も語らなかった。

いちばん辛い、切ない思いをしているのはお母様のはずなのに...。

 

その頃の彼の様子を直接は知らなかった。

同じ仕事をしていたヤツの話では、かなり‘心が折れていた’様で、仕事(と云うよりも職場)に来れなくなってしまった程ひどかったらしい。その仕事が‘終焉を迎え’た後、うちの部に異動してもらい仕事をしていたが、どうだったのだろうか?

 

 

‘落ち着かない’と云うワケではないが、夕飯の後、夜の街を少し走った。

そんな事で気分転換にも何にもならないことはわかっているけど、無性にバイクを走らせたかった。

 

何でそんな事したんだろう?

何でそんな事になっちゃったんだろう?

 

自分には何にもできない...。

 

 

 

 

■ 一周忌

2013年7月15日(月) 晴れ 

 

 

 

‘彼’の一周忌が札幌市の専修寺で行われ参列してきた。

会社からは自分も入れて4人、親戚の方々や親しい友人等全部で30人を越える位の参列者だったか。

足代や宿泊費等は全て用意して頂いての参列なので少々複雑な気もしたが、話を聞けば今回は彼のお母様が全て仕切ったとのこと。人によって受け止め方は様々だと思うけど、今回の法事はお母様の‘お気持ち’なんだろう。

 

気がつけばあの日からもう1年になろうとしている。

「早いもので...。」と云ってしまえばそれだけだが、ご家族にとってこの1年はただただ苦しく辛い日々だっただろう。彼が残していったものは、家族や周りの人たちの悲しみばかりに思えてしまう。でも、残された家族は悲観せずしっかり生きていかなければならないし、その気持ちがすごく伝わってきた。それはアホな彼が残していった財産なのかもしてないって、ふと思ったりもした。

 

一周忌の前日の夜遅く、妹が散歩に出て行ったきり帰ってこないし連絡もつかないと困った様子でお袋が電話をしてきたので、慌てて実家へ。

実家に着くとくと妹は既に帰宅していたが、いったい何を考え何をしているのか全くわからず、こっちも少し感情的になってしまったらそれが引き金になってパニックを起こしてしまうと云う様で、妹自身もそうだけど、それ以上にそんな妹と毎日顔をつきあわせてお袋の方がもっと心配になってくる。

そんなこんなで、

 

 

...いろいろ書いては消しての繰り返しをしているので、書くのを止める。

 

少し疲れた。

 

 

 

 

■ 早々と?

2013年7月5日(金) 曇り 

 

 

 

筑波観戦の翌日月曜日、帰宅してから何となく怠さを感じて早めに寝た。

火曜日朝、熱は37℃ちょっとだけど体中の節々が痛み、そして身体が重い。ムリすれば行けないこともなかったけど休暇を取って終日休息、ホントにおとなしく寝てたけどいっこうに落ち着かず翌日朝38℃を越え観念して病院に。

扁桃腺が腫れているので溶連菌(感染症)かもと云われたけど検査結果はシロでいわゆる夏風邪。昨日の夜までなかなか熱が下がらなかったけど今日はどうにか落ち着いたので4日ぶりに出勤。

 

それにしても、寝冷えも夏バテもしてないし体力的にも特に問題は無いはずなのに、ナゼだろう?

気になるのは、このところ体調を崩すタイミングが、カミさんの入院や妹の鬱が悪化(?)するタイミングと重なる事が多いこと。自分ではあまり意識してなかったし逆に「なんてタイミングが悪いんだろう?」としか思ってなかったけど、偶然ではなく必然...どっかで聞いたセリフだな...なのかと、少し思ってしまう。

確かに精神的ストレスになってないと云えばウソになるけど、体調を崩すような自覚はまったく無いし、おかしいなぁ...としか思えないけど、あまりにもタイミングが重なりすぎる。

これがその通りだったとすると、「もう少し体調管理をしっかりと...。」と云うのとは違う気がするが、でもやっぱり体調管理はしっかりとしていかなきゃと、改めて思う。 自分がくたばってたんじゃなんの意味もない。今、一番しっかりしなきゃいけないのは自分自身なんだから。

 

 

 

 

 

 

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