2013年6月

 

 

 

前月

翌月

 

 

第4戦

2013年6月30日(日) 曇り少し晴れ 

 

 

 

タイトルの通り、今日は全日本第4戦、いつもなら5月開催の筑波ラウンドが今年はナゼかこの日程。どうしてだろう?数年前なら鈴鹿300kmの日程だ。

「梅雨のど真ん中の開催かよ...。」と、年間スケジュールを見たときに思ったけど、幸いにも梅雨の中休みとなり雨に降られないどころか、土曜の午後は快晴と云って良いくらい晴れて見事に日に焼けた。(笑)

その土曜日は実家に行く必要があったので予選を最後まで観ることができなかった。まぁ自分の趣味というか楽しみばかりを優先する訳にもいかないのでやむを得ず。

 

この週末、特に不調と云う程ではないんだけど、どこかすっきりしないと云うか疲れが溜まっているみたいな感じがして、観戦(撮影)も集中仕切れなかった。特に実家にいく必要があった土曜日がダメだった。観戦(撮影)は完全に自分の趣味で「楽しいこと」のハズなのに、その気になりきれない、みたいな感じだろうか。今日(日曜日)はそれほどでもなかったと思うけど。

 

原田選手は決勝13位で今年初のポイント獲得、レース序盤にMCコーナーで一度‘ズルッ’となってヒヤッとしたけど(イン側に入りすぎてジェネレータカバーが縁石に当たってしまったそうだ。)、その後は安定した走りで無事ゴール、レース後にチームのテントを尋ねたら、原田さんはもちろんスタッフの皆さんも嬉しそうだったのが印象的だった。限られた資金や環境、様々な制約がある中でこれだけ頑張るエネルギーを持ち続ける(モチベーションなんてもんじゃなく正に‘Power’ ‘Energy’と云う感じ。)ことは並大抵じゃないだろう。

 

その一方で、昨年の鈴鹿から連勝を重ねていた秋吉選手が予選で転倒、黒川さんのFBによれば1コーナーで停まりきれずクラッシュパッドに激突し左大腿骨をまた骨折してしまったそうだ。「弘法筆の誤り」じゃないけど、ちょっと信じられないと云うかそんな感じ。

秋吉選手はこのタイミングで骨折してしまったので、8耐も間違いなくムリだろう。2ヶ月後の菅生で復帰できるのだろうか?

 

J-GP3は山田誓己選手がブッチギリの優勝

ST600は中冨選手と最後までトップ争いを続けた渡辺一馬選手がクラス初優勝

J-GP2は生形秀之選手が今季初優勝

そしてJSB1000は津田拓也選手がこれもまたクラス初優勝

何気に見応えのあるレースだったようだ。(笑)

 

 

 

 

■ 仙台

2013年6月17日(月) 晴れ時々曇り 

 

 

 

久しぶりの仙台出張。

わざわざ出張する程の内容でもなかったけど、組織変更があったり説明する相手がひと癖あったりで、面と向かって話した方が良いので仕方がない。

ミーティングは思ったよりもすんなり終わったので、ふと「青葉城址」まで足を運んでみることに。

「青葉城」と云うのは俗称で正しくは「仙台城」、その仙台城址まで30分くらい歩いたかなぁ?  その仙台城、伊達政宗が築いた‘最高クラス’のお城だったそうだけど、石堤の一部が残っていたり復元されている以外は第二次世界大戦の仙台空襲で焼けてしまったりで何も残っていないホントの城跡 で、平日だったこともあって人出も少なく静かだったのが心地良かった。

 

ここにも震災の跡が残っていて、1600年代頃に伊達政宗(だったかな?)が築いた石堤が崩れてしまい、現在も修復中だった。(元通りに復元するには数年かかるとか。)

行きは元気よく?歩いて行ったけど帰りはめんどくさくなってタクシーを利用、思いの外回り道で料金が予想の2倍ほどかかったのにはちょっと驚いたけど、運転手の方との話が濃かった?からまぁ良しとしよう。

ちょっと心地良い感じの宮城訛りで話す運転手さんの話は、石堤の崩落から震災の話になって最後は農家の跡継ぎの話まで飛躍?したけど、自分が住む関東とはすごく温度差があることを感じた。「復興なんて云うけど、まだまだ手つかずの所ばかりで、仕事ができないんだから。」 津波の被害を受けてしまった人たちは自分の土地でありながら何もできないと云う事に加え、もしできたとしても跡継ぎがいなければ何の意味もない、みたいなことも話していた。 アベノミクスでもなんでも良いけど「そんなのは他所の世界のこと」と云わんばかりの運転手さんの口調に、ちょっと言葉に詰まってしまったけど、いい話を聞かせてもらった気がした。

 

 

 

 

■ その後

2013年6月16日(日) 雨のち晴れ 

 

 

 

再入院の後7日(金)に退院したカミさん、今度の抗ガン剤は副作用が強いのか、退院後もあまり調子が良くない日が多い様子。

再入院のきっかけとなった膝の激しい痛みはほぼ解消された様子だし不調と云う程ではないのだろうけど、体力と云うか‘元気’が衰えてしまっているみたいで、疲れやすかったり、自分でも「更年期の症状」と表現していた感じ。

その反動かどうかはわからないけど、常にどこかで苛立っているようで、怒らなくて良い事で子供に突っかかっていたり、端で見ているこっちも疲れてくるので、そんな時は「さわらぬ何とかに祟り無し」じゃないけど、そっとしておくと云うか、放っておくと云うか。

今度の抗ガン剤も3週×4回らしいから、8月末頃までの期間ずっと今のような調子が続くとすると、本人も負担だろうけど、こっちもちょっと...と云うのが正直な気持ち。と云っても一番キツイのはカミさんだから、こっちはジッとガマンしかないけど。

 

午後になって雨も止み日差しも少し見えたので、夕方フラッとひと走り。

ちょっと息が詰まってしまいそうな感じだったから。

 

深呼吸、深呼吸。(笑)

 

 

 

 

■ 再入院

2013年6月6日(木) 曇り 

 

日曜日に下の日記を書いた後、膝の強い痛みと湿疹の悪化により夜遅くに病院に向かいそのまま再入院。

結局のところ副作用だそうだけど、痛みが膝だけに限定されるのは主治医も想定外らしい。以前内視鏡手術をしているから、その影響としか考えられないけど。

 

「やむを得ず」とは云え想定外の入院、残った♂どもは仕事もあるから家のこと(特に食事)まで手が回らず。

それなのに分身1号は超極楽とんぼなバカ野郎で相変わらず何もせず、こっちが遂にブチ切れしてしまうほど。

ブチ切れ後、少しは何かを感じて考えると思いきや、相変わらず【自ら】動かない(動けない)事に今度は分身2号がブチ切れ、「マジムカつく...。」 彼が怒るのもムリはない。

 

当のカミさん、いちおう落ち着いて明日退院、今後も薬(いろいろ変わったらしい)でコントロールしていくみたい(コントロールできると云う事)だけど、正直なところ次の投与後が心配...。

 

 

 

 

■ GARAGE SPEED

2013年6月2日(日) 曇りのち晴れ 

 

 

 

 

 

 

午後から小山にあるGARAGE SPEEDへ。

GARAGE SPEEDは全日本ライダーの黒川さんのショップで、足を運ぶのはもちろん初めて。でも、ただ行くだけでは申し訳ないと思いオイル交換と云う名目で‘訪問’。(笑)

FBでは何度もやり取りしているけど直接会うのは初めてなので、最初はお互いにどこか‘探る’ような感じも多少あったけど、なかなかおもしろい話等を聞かせてもらったりした。

 

お願いしたオイル交換、黒川さんのショップで扱うオイルはWAKO'Sで、どのオイルにするか「おまかせ」でお願いしたら、乗り方を聞かれた後に、「じゃあこれで。」と選んでくれたのがプロステージSと云うオイル。(おそらく)0W-30と10W-40の混合で伝票上の表記は「5W-35」と書かれている。工賃含め\7,500は決して安くないけど、今までほぼ100% Castrolだけしか使ったこと無かったし良いきっかけになったかなぁ?自分に違いがわかると良いんだけど。(笑)

 

最近はほぼ‘予約制’みたいな開店になっているらしく、今日は開店しているからか、黒川さんと談笑していると、お客さん?が3人ほど来店。

最初に来たのは高平さんと云う、ZRXのエンジンを載せた黄色いGPzに乗る方(写真の右側)で、この人が凄く気さくな人でなかなかおもしろい。(笑)

 

次に訪れたのが「しょんぼりした」顔つきでお店に入ってきた若いお兄ちゃん。

軽く挨拶した後、黒川さんとエンジンがどうのこうのと話している...「あれ?もしかして?」、片平良輔クンだった。

黒川さんと彼の会話をざっとまとめると、もてぎの時にブローしたエンジンの代わりに黒川さんから借りたZX-6Rのエンジンが、チームを事実上解雇されてしまったけどエンジンは チームのマシンに載ったままなので返せそうにも無い、みたいな話だったと思う。

事実上解雇と云うのは、スポンサーが地元(マレーシア)の選手を走らせたい意向がものすごく強く、チーム側も対応に苦慮したまま時間だけが過ぎて、自分から確認したところ事実上自分が走ることができないことが判ったそうだ。

また、宗和さんの‘事件’があったことで片平君はチームに入ることができたけど、チームにとってはその事件が致命傷となり多くのスポンサーが離れてしまったことで、チームとしては厳しい財政事情を強いられ 、‘交換用パーツ’がまったく用意できない(走るだけで精一杯)と云う実情とか。

片平君は、現在は走るチャンスが全くなく、運送会社で働いているらしい。

レースに出場する・しないは別として働くことは必然だろうけど、自分の目標やチャンスを失ってしまった(奪われてしまった)のは本人にとっては大きなショックだろう。

自分は別として、黒川さんも高平さんも自営で苦労されてきた方々、「少しぐらい苦労してもまだまだ若いんだからチャンスはいくらでもある。」、 今の彼にどこまで励ましになっているのか...。(笑)

でもへこたれず頑張って欲しいねホントに。

 

さらにその次に来た方は、素性は判らないけど黒川さんのところに出入りされている方かな? ただ「走り屋系」ではなさそうな感じだったけど、どうだろう?  (後で判ったけど「松本さん」と云う方らしい。

そんなこんなで、15:00頃着いたのに気がついたら18:00を過ぎようとしていたのでオイル代をお支払いし帰途につきました。

 

なぜ自分がわざわざ黒川さんの所まで足を運んだか、そのワケは黒川さんにも話したけど、バイクを通して何か新しいチャレンジができるきっかけになりそうな感じです。

ところで黒川さん、隼のメンテできたのかなぁ?

 

 

 

 

■ 退院

2013年6月1日(土) 晴れのち曇り 

 

 

 

心配されたカミさんの副作用は結局ほぼゼロで、昨日の話でも退院は日曜日と云っていたのに、今朝になって急に‘今日退院になった’と。

今日は子供達も(土曜日だけど)仕事で居ないし自分は特に予定もないので、それじゃあ栃木...前日光界隈でも走ってくるかと出発、足利ICを降りて「藤阪峠」に着いた時に「今日退院になりました。」と着信(出られるワケない。)&SMSが送られてきたことに気がついて、そこから急遽引き返すことに。

何で急に予定が変わる?...後になって知ったが今日は退院ではなく「外泊」、正式な退院は明日のまま。たぶん副作用があまり出てないので「家に帰っても良い」になったんだろう。

ただし、当のカミさんは夜になって副作用が現れたと云うか顕著になった様子で、膝をはじめとして‘節々が痛い’と。今のところ様子見だけどあまりひどくなるようであれば「強制送還」しなきゃかなぁ?

 

まだ退院(外泊)の連絡が入る(気づく)前、藤阪峠で写真を撮っていたら、ランナーの方に話しかけられしばし談笑、話しかけられたきっかけは春日部ナンバーで、今年の大凧マラソンに出場されたとのこと。

失礼ながらお二人に歳を伺うと、70歳と65歳だったかな?一方の方のかけていた眼鏡のデザインが歳を感じさせたけど、それを除けば見た目はそれよりずっと若々しいと云うか元気溢れるお二人だった。「これしかやることないからさ(笑)、家にいても女房と2人じゃじゃ話す(ネタもなくなっちゃうしね。(笑)」

すごく納得って云うか、なるほどなぁ...って思ったのが、その方が「男はプライドがあるからね、そのプライドを捨てないとダメだよ。」 プライドがジャマしてなかなか外に出ていかなかったり他人と関わったりしない、みたいな事を話されていたこと。そのお二人、マラソン(走ること)を通じて知り合った様子だったし、共通の趣味があるってやっぱり良いなぁ...ってすごく思った。ちなみにどちから来られたかはさっぱり知らないからホントに一期一会だったけど、なんだかすごく良い思いをさせてもらった気がした。

そんな話の中、気になるのはやっぱり義父のこと。ちょっとだけ話したら「自治会の集まりにでも何でもとにかく外に行かせることだよ。」って。ん〜そうなんだよなぁでも実際には難しいなぁ...。(笑)

 

そんな事を考えながら着歴に気がつき、桐生の手前から速攻で帰宅しカミさんを迎えに。ここで退院ではなく外泊と云う事を知ったが、何となくだけど「副作用が現れる可能性がある」ため退院にしなかったんじゃないかな?だけどあまりに本人が退院を訴えるから「外泊」と云う方法をとったんじゃないかな?って思った。そして帰宅後夕飯までは荘でもなかったけど、その後関節痛が現れてきたし。(とりあえず眠っている様子だから大丈夫だと思うけど。)

 

それにしても中途半端にバイクに乗って途中で打ち切ったので不完全燃焼、もう少し山道のグニャグニャした所を走りたかったなぁ。

 

 

 

 

 

前月

翌月

 

 

一覧へ戻る

 

 

inserted by FC2 system