2006年4月

 

 

 

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■イスタンブール

2006年4月30日(日)

 

 

 

MotoGP第3戦トルコGP。

第2戦はHONDA LCRのC.STONERが歴代2位の若さでポールポジションを獲得(1位はF.SPENCERだそうだ。)に驚いたと思ったら、第3戦はRIZLA SUZUKIのC.VERMEURENが雨天の予選でポールポジションを獲得。V.ROSSIはセッティングを誤り予選11番手。

250ccクラスでは3戦連続でJ.LORENZOがポールシッター、チャンピオン不在のこのクラスでずば抜けた速さを保持している。

さて、今日からGW。とは云っても明日、明後日は出勤が待っている。クソ、オレの連休を返せ!6月になったら1週間丸々休んでやる!(笑)

少し疲れが出たのか、今日は午後はほとんど寝て過ごした。って云うかいくら寝ても目が覚めない、みたいな感じだ。

ようやく目が覚めた後、久々に思いっきりMotoGP4で250ccクラスのタイムアタック。なかなかクリアできなかった鈴鹿('02年)をようやく突破したと思ったら今度はPaulPicard('98)、何周走ったかわからないくらい走ったけどなかなかタイムが縮まらないっていうか縮めるポイントが少なすぎで四苦八苦でクリアまであと0"286。

MotoGP4は2004年を舞台として作られたゲームだから一概には比較できないけど翌年の'05年型RS250RW(D.PEDROSAのマシン)は110psを超えているらしい。5月の動態確認テストで走るRC162('61年/高橋国光初優勝マシン)は45ps超だそうだから驚くばかりだ。

トルコGPでのトップスピードは予選2位のA.D.ANGELの乗るAPRILIAが268.3km/hをマーク、RC162の“220km/h超”と比べてもすごい差があることがわかる。ちなみに青山博一の乗るKTMは260.0km/hでトップとは8km/h以上の差があるのに予選6位はすごい。

タイムを縮めるポイントが少ないPaulPicard('98)、クリアまであと何周走るのなー?

 

 

 

 

仕事...

2006年4月27日(木)晴れ

 

出先からの移動がちょうどお昼時だった。

通り道の道路際にある駐車スペースでエンジンをかけたままの車が停まっているなと思ったら運転席でお昼寝中。最初は「良いな、昼寝...。」と思ったけど、昼休みをこんなところ(狭い車の中)で過ごさなきゃいけないっていうのもなんかなぁ...と。

考えてみれば自分も昼食を取りながらメールのチェックをしていたりすることが多いし、帰宅は毎日深夜におよぶ。自分が子供の頃、父親の帰宅が20:00過ぎると「遅いなぁ...。」とよく思ったのに、今の自分はその比ではない状態だ。

 

 

 

 

チェルノブイリ

2006年4月26日(水)曇り

 

今日はチェルノブイリ原発事故からちょうど20年の日だそうだ。

このところ連日英文のメールで四苦八苦。マジ 勉強しよう!

ちなみに今いる職場にTOEIC980点をマークする人がいる。バケモンだ。でもすげー綺麗な人...。

 

 

 

 

■英語

2006年4月25日(火)曇り一時雷雨のち晴れ

 

仕事で最近英語のメールを読み書きするようになった。なったと言ってもスラスラ読み書きできるわけでもなくホントに四苦八苦しながら、と云う感じだ。今頃になって「(英語を)もっと勉強しておけばよかったなぁ...。」と後悔。

でも後悔してもできるようになるわけでもないので、とりあえず中学校レベルクリアを目指してみようかと。そういう意味では今の必要に迫られる状況は良いきっかけになったのかなぁ?

職場にいる何人かの話せる人を見ていると(正しくは‘聞いていると’だな。)、そんなに難しい文法を使ってるワケでもなく、単語をしっかりと覚えていればなんとかなりそうな気もするが、それは甘い?(笑)

まぁ、秋のTOEIC目指して頑張ります。

 

 

 

 

■福知山線と床屋

2006年4月24日(月)曇り帰宅時雨

 

福知山線の脱線事故から明日でちょうど1年だそうだ。遺族の中にはまだまだそのショックから立ち直れなかったりしている人がたくさんいると云う。

ふと気がつくと、何も考えずに(と云うか目的の駅で降りる位置を考えて)先頭車両に乗ることが少なくないし、事故のことが頭を過ぎることもなくて、TVやニュースで「あぁ、そんな事故があって、もう1年も経つのか...。」位しか思わなくなってるのが本音だ。

 

昨日、近所の床屋に初めて行った。

オーナーと云うか店長が変わっていたのは知っていたけど特に気にかけることもなく、行く気も今まではなかった。いつも云っている床屋のおじさん(小学校の頃から世話になってた。)が 亡くなって息子が跡を継いでいるのだけど、どうも雑で気に入らなかったのもあって思い切ってその近所の床屋に行ってみた。

その床屋、ご夫婦でお店をやっているがカットは主人が担当。これがまた信じられないくらい丁寧で少し感動。だっていつもの倍近い時間がかかったのだから。(笑)

いろいろ話をしながら切ってもらってたんだけど、ご主人は二輪のレースと云ったら「オートレース」をイメージしたらしい。「違いますよぉ、F-1のオートバイ版みたいなものですよ。最高速340km/hくらいとか出るんですよ。」と云ったら半分驚きながらも不思議そうな顔をしていた。 ところが、驚いたことに大治郎の名前だけは知っていた。「チャンピオンか何かだったのですか?ニュースで見たんですけど。」これには逆にこっちが「へぇ〜...。」少々驚いた。確かに世界GPでの死亡事故は珍しいというかずっと起きていなかったし。大治郎の命日を過ぎた日にこんな話が出るとは思いもしなかったので、後になって「ん〜...。」っていう感じな日曜日だった。

 

 

 

 

■大治郎...

2006年4月21日(金)朝のうち雨のち晴れ

 

 

 

2003年MotoGP開幕戦日本グランプリ

大治郎が亡くなって丸3年が過ぎた。

MotoGP.netによれば、グレシーニ監督は大治郎の死を今でも悲しみ命日である4/20はとても辛い日だと云う。 そしてTeam GRESINIは、大治郎の命日である4/20はチームの活動を停止したと、彼のWebサイトに書かれている。

グレシーニ・レーシングのWebサイトには今でも「74」が表示され、チームが変わり赤色になったS.GIBERNAUのレーシングスーツにも 「74」がつけられている。きっとGresini監督とGibernauの心の中に大治郎は生き続けるんだな...と思った。

 

今朝は地元は普通に雨が降っていたのに都内は一滴も降っていない。カサを持っているのが恥ずかしく思えるくらい穏やかな1日だった。それにしても眠い...。

 

 

 

 

■ロッシ!

2006年4月10日(月)曇り一時雨

 

 

 

MotoGP第2戦カタールGP

V.ROSSIは予選6番手からスタート。第1戦スペインGPではトニ・エリアス(Fortuna Honda)との接触で転倒、再スタートをするも14位と云う結果に終わったが、この第2戦は見事に優勝。これで最高峰クラスでMick Doohanに並ぶ59勝目だそうだ。

今年は予想が難しいと云われているMotoGPクラスでしっかりと結果を出してくるROSSIはやっぱりすごいライダーだ。2位にはN.HAYDEN、3位には初戦優勝のL.CAPIROSSI、4位にS.GIBERNAUが続き、予選トップのC.STONERは5位、初戦2位のD.PEDROSAは6位、まさにベテランVSヤングライダーの極みといった感じだ。

C.STONERの予選タイムは1'55"683。去年の予選タイム:1'56"917(L.CAPILOSSI)から1.2秒以上短縮されていると云うのもスゴイ。MotoGP4で(ってゲームかよ?(笑))でタイムアタックするも1'57"が切れない。って云ってもまだまだ攻めきれていないけどあと2秒縮めるのは'04年型マシンでは厳しいのか?

そして250ccクラス。青山博一はKTM最高リザルトの5位入賞、弟の周平は今ひとつパッとせず11位。まだ2戦だし先は長いさ。ガンバレ!

 

 

 

 

■華やかさの裏で...

2006年4月3日(月)晴れ

 

今日は朝から良い天気で昨日の雨が恨めしいくらいだ。

 

4/3付けの朝日新聞朝刊

 

「オートバイ全日本ロードレース選手権第1戦が2日、栃木県の「ツインリンクもてぎ」であり、125ccクラス決勝で14歳の中上貴晶(team・HARC-PRO.)が史上最年少で優勝した。中上は千葉県在住の中学生。40台が出場した決勝レースで序盤からトップ争いを展開、終盤のデッドヒートを制した 。」

 

その一方で

 

「2日午前11時半ごろ、栃木県茂木町のツインリンクもでぎで、「MFJ全日本ロードレース選手権(ST600決勝)に参加していた東京都日野市、会社員加藤直樹さん(34)のオートバイが走行中に転倒した。加藤さんは全身を強く打ち間もなく死亡した。後続の男性(32)のオートバイも接触して転倒、軽いけがを負った。茂木署などによると、自己はスタート地点から約1.8キロ離れた、右カーブを抜けた直後の直線で起こったという。」

 

レースリザルトによれば加藤選手は1'58"029のタイムで予選14番手からスタート、1ラップ目の記録に加藤選手のゼッケンNo.50が無いことから、事故は1周目の5コーナーの立ち上がりで起きたようだ。125ccでツインリンクもでぎのレース結果にもMFJのWebサイトにもそんなことはこれっぽっちもふれていないし、新聞記事で見つける(3面記事として小さく載っていた。)までそんなことも全く知らず、楽しんでいた自分が少し恨めしい気がする。

いずれにしても起きてはいけない事故であって、加藤選手のご冥福を心からお祈りしたい。

 

 

 

 

■全日本

2006年4月2日(日)曇りのち雨

 

前日(4/1)とはうって変わって肌寒い曇天、しかもいつ雨が降り出すかわからない状況で開催された全日本ロードレース選手権を観戦。なかなかおもしろかった。

藤原儀彦が走っている(ST600)のには驚いた。それもJubiro Racing Teamの監督兼選手だって。

 

 

 

 

 

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