こうやってこのページが書けるのは、‘不幸中の幸い’で済んだからです。

 

決して起こしてはいけない「交通事故」

忘れない、二度と起こさないと云う意味を含め、その顛末を記しておこうと思います。

 

 

 

 

 

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【8/28(金):事故当日】

 

 「あっちゃんが事故ったって!!

 

次男から連絡が入ったのは8/28(金)12:24、職場で昼食を食べ終えた頃のことでした。

 

長男が仙台に向けて出発したのはこの日の朝am7:00ちょっと過ぎ。

彼は、その週末に菅生で開催される全日本ロードレース観戦と、彼自身初のソロ・ツーリングを兼ねて、レース前日の8/28(金)に仙台に向けて出発しました。

 

正直なところ、多少の不安がありました。何しろ5月の初ツーリングの際に、出発して1kmにも満たないところでいきなり握りゴケしてシフトペダルを破損し(詳しくはこちら)泣く泣く(?)ツーリングを断念したことがありましたからね。

まぁ、そんなことはその時だけでしたが...。(笑)

 

‘ちゃんと計画してるのか?’

‘どこに泊まるのだろうか?’

‘またコケやしないか?’

 

まさに親心と云うヤツ、心配は尽きません...、って人のこと云えないかもしれないけど。(苦笑)

 

 

もちろん自分もレースを観に行くつもりでいました。

昨年の菅生は都合で予選しか観れなかったので、今年こそは決勝を観戦しようと決めていました。

ただ、土曜日に行われる予選はそれほど観たいと思っていなかったし、わざわざ泊まりで行くほどのことでもなかった(ナゼか自分の中ではそれほど盛り上がっていなかった。)ので、決勝当日の未明に自宅を出発し日帰りで観に行くつもりでいました。

今年はZZRだし、去年のように雨さえ降らなければ日帰りなんて楽勝です。(反対に、去年は雨の中をよくバイクで行ったよなぁ...と我ながら感心しました。)...ってバイクの種類は関係ないか。(笑)

 

一方の長男。

レース観戦は前述の通り8/29(土)〜8/30(日)の2日間ですが、1日早 い8/28(金)に自宅を出発し、その日1日をかけて国道6号を仙台まで走ると云う移動兼ソロ・ツーの計画を立てていました。

元々は友達と一緒に行く計画みたいだったけど、その友達が都合(単純に ‘費用的問題’ と云う実に大学生らしい理由らしい。(笑))で行けなくなり、結局ソロ・ツーに落ち着いたようでした。

 

「で、どこに泊まるつもりなんだ?」

 

長男に確認すると、8/28(金)の晩こそ ‘人生初のビジホ’ (と彼は表現してました。(笑))を予約していたものの、予選を観戦する8/29(土)の夜は宿泊先を決めておらず、仙台市内のネットカフェを探してそこに泊まると云います。

 

「なんでわざわざネットカフェになんか泊まるんだよ?」

「予選で撮った写真(データ)を整理したいからネットカフェでPC使おうと思って。」

 

なるほど...、ってホントはバイク雑誌などで見かける ‘ネットカフェに泊まる’ と云うこともやってみたかったんだろ?(笑)

 

「お父さんもネットカフェに泊まれば?」

「冗談じゃない。なんでお父さんがそんなところに泊まらなきゃいけないんだよ?(笑)」

 

自分がネットカフェに泊まれば彼と同じように‘人生初’になるワケだけど、この歳でそんなものは経験したくありませんから。(笑)

ちなみに自分はネットカフェどころかカプセルホテルも泊まったことありません。蜂の巣みたいでキライなんです。

 

「そんなモン(PCのこと)、今どきビジホにもおいてあるところ沢山あるよ。」

「え、そうなの?」

 

...なんて知ってるワケないか、何しろ‘人生初’なんだし。ま、何事も経験です。ってちょっと違うか。(笑)

 

それにしても

  ・金曜日は仙台まで約350kmのソロ・ツー。

  ・土曜日と日曜日の2日間は終日菅生でレース観戦 。

  ・そして月曜日(8/31)には大学の追試があるため、決勝が終わった後はその日のうちに帰宅ししなければならない。

なかなかハードな計画です。(自分も月曜は普通に出勤なんですけどね。)

 

「まったく、しょうがないなぁ...。」

 

そんなワケで、当初の予定を変更して自分も土曜日から行くことにしました。

具体的には、土曜の午後に菅生で長男と合流してGP-MONOクラス決勝を観戦し、その日の夜は菅生から20分ほどのところにあるビジホに泊まることに。もちろん無料で使えるPCが用意されているビジホを選んだし、広めのツインで朝食もついていて、ネットカフェよりもずっと快適にゆっくり休めるはずです。(そもそも比べるのが間違いか?)

まぁ、長男がもう少し‘旅慣れ’ていればこんな心配もいらないんでしょうけどね。

甘やかしすぎかなぁ?

 

 

そして当日。

自分の方が先に出勤した後、長男は「いったい何泊するの?(笑)」と云うような荷物を愛車RF400RVに積み込み、am7:00ちょっと過ぎにカミさんに見送られ自宅を出発したそうです。

 

彼が出発して約3時間、10:00頃

 

「今ひたちなか市です(電球点滅絵文字)」

 

と云う最初のメールが届きました。とりあえずは自分なりのペースで順調に走っているのでしょう。

 

「1時間位を目安に必ずバイクから降りて休めよ 、明日も明後日もあるんだから。」

 

と返信しておきました。なにしろ初のソロ・ツーだし、ろくに休憩も取らず勢い任せで走っているに決まってると思ったからです。案の定、彼は予想通り休憩をほとんど取らずに走り続け、返信したメールを読まないうちに事故を起こしてしまったワケですが...。

 

‘(次の)メールが来ないけど、まぁ普通にマイペースで走ってるんだろ...。’

 

12:00になり、お昼ご飯を食べながらそんな風に思って矢先に来た連絡は長男からではなく、次男からだったのです。

 

「なに?」

もしもしお父さん? あっちゃんが事故ったって!!

「え?」

「警察の人から電話があってトラックに追突しちゃったんだって。記憶が飛んじゃってるけど命に別状はないって云ってた。でも肩と手をケガをしてて折れてるかもしれない。救急車で泡立綜合病院(仮称)に運ばれるって云ってた。電話はxxxx-xx-xxxxだって。」

 

その電話は事故の知らせで、どうやら 現場に駆けつけた警察官(か救急隊の人)が、長男の携帯を使って次男に連絡してきたようです。なぜ次男に連絡したのかはわかりませんが、普段はひょうひょうとしている次男が、その時だけは信じられないくらい冷静に状況を話してくれたのです。

連絡を受けた次男はその時夏期講習の真っ最中、兄からの電話に出たらいつもと違う ‘オッサン’ の声が聞こえ、さらにそれが兄の事故の知らせの電話だったのだから相当ビックリしたそうです。そりゃ当たり前だよなぁ...。

 

ただ、(次男から)連絡をもらった瞬間に、

 

‘やっぱりやっちまったか...。’

 

と云う気持ちが少しだけ頭をよぎりました。

さすがに「事故」は想定外だったものの、転倒くらいはやってしまうかもなぁ...と云う心配はあったので、その延長上のトラブルと思ったのかも知れません。その時はまだそれほど大きな事故とは思っていなかったのも確かです。

 

電話を切った後、職場の上司に事情を説明し急いで帰宅、先に仕事先から戻っていたカミさん、塾から帰ってきた次男と合流し 、すぐに泡立綜合病院に向かいました。自宅から病院まではおおよそ130kmほどの距離です。

 

 

 

 

泡立総合病院

 

 

病院に着いたのが16:30頃でした。

病室に入ると、酸素マスクとモニターをつけられ、顎に大きなガーゼの絆創膏を貼った長男がベッドで寝ていました。

左手は副木で固定された上に点滴をされているし、鎖骨を固定するバンドが付けられています。さらに右肩付近には数カ所の擦過傷の治療跡もありました。

 

正直云って、病院に着くまではもう少し軽傷だろうと思ってました。連絡で聞いた内容から手や肩を打撲している程度で、入院と云ってもすぐに退院になるだろうと楽観視していたのです。

ところが、目の前にいる長男は実際にはかなりの重傷、

 

「あちゃ〜...。」

 

まさにそんな感じで、それ以外の言葉(単語?)がしばらく頭に思い浮かんできませんでした。

そのまま ‘固まった状態’ で長男を眺めている(ホントにそんな感じでした。)と、担当医が病室にやって来て、長男の状態を説明してくれました。

 

「後ほど脳外科の先生から説明があると思いますが、検査の結果、脳には異常は見られず命の心配もありませんのでICUからこちら(整形外科病棟の個室)に移しました。」

「事故の衝突のショックで一時的に記憶が失われていますが、しばらくすれば自然に戻ります。」

「脾臓の一部に損傷が見られ多少出血しているようです。しばらく様子を見る必要があり、場合によっては手術が必要になるかもしれませんが、おそらく1両日中には落ち着くと思います。 」

「そうは云っても事故の場合、少ししてから別の症状が現れる場合があるので、2〜3日ほど経過を見ることにします。」

 

ここまでが桜庭和志にチョイ似の、外科のマツキヨ先生(仮名)の説明。

 

‘おいおい、内臓まで怪我してるのかよ...?’

 

まさに想定外、いったいどんなぶつかり方をしたんだ?

 

マツキヨ先生の説明が終わると、今度は三流ドラマに出てきそうな整形外科担当のサヤカ先生ご登場。

 

 

 

 

 

 

「全身、特に上半身を打撲し右鎖骨と左手人差し指を骨折していますが、治りますので心配は要りません。」

「(骨折は)手術でしっかりと固定する方が良いのですが、外科治療を優先するのでとりあえずこちら(骨折の処置)は ‘待ち’ になります。」

「鎖骨はキレイに折れているので特に問題はないですが、指の方は遅くとも2週間位で骨がくっつき始めるので 、それまでに手術で固定した方が良いでしょう。」

「顎の傷は先ほど形成外科の先生がキレイに縫ってくれましたから大丈夫です。」

 

鎖骨に加えて指まで骨折?ヒドイ突き指でもしたのか?状況の想像がつきませんが、とにかく考えただけでも相当痛そうです。

そんな説明を受けている最中に長男が目を開けました。

 

「ここ、どこ?」

「RFは?」

「今日、いつだっけ?」

「どこに行く予定だったんだろ?」

「オレ、大学生だっけ?」

 

マツキヨ先生の説明通り、見事に記憶回路が停止している様子で、 ‘いつもにも増して’ とんちんかんなことを云ってます。

それと同時に、こちらが答えたことがまったく覚えていられないようで、すぐに同じことを何度も聞き返してきます。まぁ、元々親の云うことなんて数秒で忘れる脳ミソですが...。(と冗談を云ってる場合ではないですね。)

長男の質問に答えながら、こちらからも問いかけます。

 

「大丈夫?わかる?」

「大丈夫、わかってるよ。さっきは寝てたみたいだ。」

 

と長男は答えるのですが、実際には寝てないし数分もしないうちにまた同じことを何度も聞き返してくるのです。

そんな兄の様子を見ていた次男は、最初のうちはふざけているのかな?と笑っていたものの、あまりにも同じことを何度も何度も聞いてくる兄の様子にだんだん不安になってしまったようです。

 

そのやりとりと前後して、看護師さんからおはぎ警察署からの伝言を伺いました。折り返し電話を入れると、担当のシマミネさん(仮名)が出て事故の状況を教えてくれました。

 

「息子さんは大丈夫ですか?」

「右鎖骨の骨折と〜(中略)〜と云う状態です。」

「そうですかぁ...。大変なケガでしたね。」

「それで息子さんの事故なんですけどね、トラックの前の車が右折しようとして停車して、トラックもその後で停まったところに、息子さんのオートバイが追突してしまったようです。」

「そうですか...。」

「それで今回の事故なんですが、息子さんが入院してしまうほどの事故ですので、人身事故として扱わせてもらいますね。そのため取り調べと現場検証が必要になります。」

「わかりました。」

「それから追突した相手はマコト運送(仮称)、連絡先はxxxx-xx-xxxxですので連絡を取ってください。」

「わかりました。」

「オートバイはこちらで引取業者を手配させて頂きました。なまはげ板金(仮称)でxxxx-xx-xxxxですのでこちらも連絡を取ってください。」

「わかりました。ありがとうございます。」

 

穏やかな南東北訛り?で話すシマミネさんとのやりとりはだいたいこんな感じだったと思います。

 

電話を切った後、カミさんにマコト運送に対して謝罪と保険でトラックの修理を対応させてもらう旨の連絡してくれるように頼み、こっちはなまはげ板金に連絡を入れました。

長男が、保険などの書類はRF400RVに載せていると云っていたのを思い出し(実際にはRF400RVに載せられていたのはコピーで原本は長男の自室にあったのですが...。)、保険会社に連絡するにしろ何にしろ、その書類などを引き取る必要があったからです。

それに、RF400RVを修理するにしろ廃車にするにしろ、この後のことについてもなまはげ板金と相談しなければいけません。

 

 

 

 

 

(なまはげ板金にて)

 

なまはげ板金は病院から20kmほど北に向かったところにありましたが、帰宅時間帯に見事にハマってしまい、到着までは1時間くらいかかったと思います。

日が暮れ真っ暗になる頃ようやくなまはげ板金に到着、外出したご主人に代わってご主人のお母さんが対応してくれ、広い敷地の片隅でブルーシートを被せられたRF400RVを見せてもらいました。

 

‘うわっ!!

 

長男のケガの状況から、RF400RVはきっとヒドイ壊れ方だろうなぁ...とは思ってましたが、予想以上の激しい壊れ方に驚きました。

 

‘こりゃあ、直らんわ...。 ’

 

真っ暗な中で、懐中電灯の明かりを頼りに見るだけでもその壊れ方が充分に判ります。

遠目に見れば、フロントフォークは無事だしカウルが壊れただけ程度ですが、実際にはフレームにかなりのダメージがあるほどボコボコで、現場まで引き上げに行ったご主人も

 

「乗ってた人は大丈夫だったのか?」

 

と心配していたそうです。

 

もしRF400RVを廃車にするなら車両はなまはげ板金で処分してくれるそうですが、いずれにしても持ち主(長男)と相談してどうするか決めるので、それまで預かってもらうことにして、この日は病院に戻りました。

 

病院へ戻る途中、なぜか無性に切なくなりました。

 

‘やっぱりひとりで行かせなければ良かったなぁ...。’

‘廃車かぁ...。’

‘一緒に(菅生まで)行ってやれば良かったかなぁ...。’

‘もう少し(RF400の)面倒も見てやればよかったなぁ...。’

‘結局、一度も一緒にツーリングに行かなかったなぁ...。’

 

怒濤のごとくあふれ出てくる‘たられば’のオンパレードです。鱈に肝臓はあるのか?(...ってボケかましてる場合かよ。)

 

病院に戻り、目を覚ましていた長男に

 

「RF400RVを見てきたけど、あれじゃあたぶん直らないよ...。」

 

と、RF400RVの状態を伝えました。少々かわいそうだけど、直る可能性がほとんどないのにムダな期待させても仕方ありません。

 

「そっか...。」

 

長男は納得したような返事をしていたものの、きっとこの時はまだ伝えたことを記憶し理解することはきっとできなかったでしょう 。

 

長男は、脾臓の出血などで数日は経過観察が必要とのことで、病院側からも家族に‘付き添ってくれ’と云われていたので、カミさんが残ることになり、自分と次男は帰宅することに。

次男と自分は21:00過ぎに病院を出ましたが、途中であまりの眠さに耐えきれず3度も仮眠を取るハメになり、自宅に着いたのはナビの到着予想時刻よりも1時間も遅い時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

【8/29(土):事故翌日】

 

朝のうちにアイアイ保険(仮称)に事故の連絡を入れ、窓口のジョージさん(仮名)に事故の状況を伝え、今後の手続きなどについて教えてもらいました。

また、保険の解約についても教えてもらいました。解約の手続きは、長男がRF400RVを購入した際に保険を契約した赤男爵が代理店なのでそこで行ってくれとのことです。万が一廃車を免れたとしても当分は走れそうにないオートバイに保険をかけていても何の役にも立ちませんから。

 

連絡が終わった後、自宅の用事等を済ませ、カミさんの着替えや長男の甚平等を持って病院へ向かいました。甚平は腕が上げられない長男のパジャマ代わりで近所の‘ドンキ’で購入したのですが、季節外れにも関わらず選り取り見取り状態で ‘さすがドンキだな’ と思っちゃいました...、って感心している場合ではないですが。(笑)

 

この日も常磐道を北上し泡立市に向かいます。

ちなみに前日は急いでいたこともあって往復とも高速を ‘ぬふわ’ km/h位の、オービス君にロックオンされない程度のスピードで巡航したので、大食らいのガスエスくんは約9km/Lと云う低燃費ぶりを発揮してくれていました。

この日は90km/h〜95km/hに押さえ、 ‘ジッとガマンのエコドライブ’ で走ってみ ると、燃費は約10km/Lまで改善、でもこの速度はなかなかストレスですね、エスティマだからできる技と云えます。(笑)

そんなことはどうでも良いですが、8月最後の週末にもかかわらず ‘¥1,000’ 渋滞に遭遇することもなく昼過ぎには病院に到着。

 

長男は、前日に比べると少し落ち着いてきた様子で、飛んでいた記憶も徐々に戻ってきている様子です。

...とは云っても、前日の事故の事などは相変わらずさっぱり覚えてない(と云うよりもむしろ ‘わからない’ 的な感じ。)そうです。こればっかりはしかたないでしょう。

しかし、落ち着いてきたとは云え顔はまだ全体的に腫れぼったいし、骨折しているところを含め身体のあちこちが痛むようで、まだまだ‘回復’と云う感じではありません。上半身をかなり強く打撲しているワケだからね。

それでも、普通に会話が出来るようになった長男を見た次男は少し安心したようでした。前日、帰宅する直前に兄のベッドの脇で突然大泣きしていた位だったので、次男も彼なりに相当心配・不安だったのでしょう。

心配された脾臓の損傷も午前中の検査で大丈夫と判断されたようで、水分の摂取も許可されました。

 

この日もまだ心配だと云うことで、カミさんがもう一晩付き添うことになり、次男と自分は帰宅することにしました。

自宅にam0:00少し前に自宅に到着した後、持って帰ってきた長男の荷物を少し整理しました。

長男の名前が書かれたビニール袋には、事故当時に着ていたTシャツが入っていましたが、救助の際に切り裂かれてしまったようでボロボロだったので、そのまま処分しました。

 

 

 

 

 

(なんとも痛々しいと云うか...。)

 

ヘルメットはあご紐のカバーとインナーの頬の部分にべっとりとついた血のりが乾いてしまっていたので外して洗濯です。

インナーは一度洗っただけでは血糊が落ちきらず、さらにインナーのスポンジをにぎると中から血がにじみ出てくるほどで、3度ほど洗い直した覚えがあります。

その一方で、シールドは固定用部品が壊れ外れてしまっていたのですが、ヘルメット本体にはぶつけたような傷跡がほとんど付いていないのがちょっと不思議です。

 

ライディング・グローブは(左)指骨折と云う大ケガを負ったにもかかわらず ‘外傷’ がありません。これもちょっと謎です。

そして長男が着ていたメッシュジャケットも擦り傷等の痛みは皆無でした。

それでも、上半身打撲に加えて右鎖骨骨折、さらに何カ所か激しい擦過傷があるくらいだから、相当激しくぶつけたのでしょうね。想像するだけでも鳥肌モノです。

 

タンクバッグは、事故の際に路面に擦ったと思われる痕がありタールが付着していました。タールはパーツクリーナーで落ちましたが、特に地図を収納する部分の摩擦痕はどうにもなりません。

また、着替え等を入れてリアシートに固定していたと思われるエナメルバッグにもタールが少しこびりついていましたが、カメラやレンズを入れていたリュックはわずかに擦り傷がある程度でした。

 

‘いったいどんなぶつかり方をしたんだろう?’

 

謎は深まるばかりです...。

荷物の整理が終わった後、なまはげ板金で撮ったRF400RVの写真をもう一度見直してみました。

RF400RVの損傷の状態から推測すると

 

連続走行の疲れから集中力が途切れ、前方をしっかり見ておらず、停車していたトラックに気付くのが遅れた。

    ↓

目の前に迫ったトラックにハッと気がつき、愕然としてフル・ブレーキをかけてしまった。

    ↓

フロントタイヤがロック(リアも?)しバランスを崩して右側に転倒し、その際にあごや右上半身をオートバイか何かに強打し鎖骨を骨折 、同時に肩〜胸回りを強打

    ↓

右に倒れた状態でそのまま高速スライディングしトラックの後部に滑り込むように激突

    ↓

激突した際にステアリングを握っていた左手をトラックとの間に挟んだか強打し指を骨折

 

こんな感じの事故だったのではないかと思います。シロウトながらなかなかの推測です、なんて。(笑)

全ては警察の現場検証で明らかにされるでしょう。

 

やっぱり、とっさの時の運転って云うか技術がまだまだ未熟だったと云うことでしょうか? そんなことを考えてると、またちょっとやるせない気持ちになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

【8/30(日):3日目】

 

朝、カミさんから

 

‘今夜も私が付き添うので自宅で休んで。’

 

とメールが送られてきました。そうは云ってもカミさんは2晩連続で簡易ベッドでの仮眠だし、シャワーも浴びてないし、カミさんの方がよっぽど疲れているはず。それにやっぱり長男のことも気になるので、この日も病院まで行くことにしました。

ちなみに次男は前日の兄貴の姿に安心したのか、泡立市まで行くのがめんどくさくなってしまった様子で、この日は家で留守番するとのことです。確かに病院まで行ってもやることないし、兄貴は基本的に寝ているだけだしねぇ...。

ま、留守番と云ってもどーせ遊びに行くんだろうけど(笑)、留守番しっかり頼むぜ。

 

泡立市に向かう前に、赤男爵に寄って保険解約の手続きをしました。

長男がRF400RVを購入する際にお世話になったムギワラさん(仮名)に解約の理由を説明するとムギワラさんはかなり驚いていました。自分が扱ったオートバイで顧客が事故を起こし、おまけに廃車じゃあムリもないでしょう、ショックを隠せなかったようです。

 

カミさんから再びメールが来て、長男は今日は前日よりもさらに落ち着いて元気も取り戻しつつあるとのことです。それどころか、事故の記憶が無いことを良いことに?

 

‘つぎ(のオートバイ)は何にしようかなぁ?’

 

と、携帯でオートバイの物色をしているとのこと。いくら記憶が無いからと云っても、まだ2カ所折れたままベッドの上だ云うのにです。まったくのんきなヤツだ。

そして、ゲリラ豪雨急接近時の真っ黒な雨雲ようなカミさんの顔色も頭に浮かびます。(笑)

 

この日ももちろん常磐道を走って移動、泡立市まで毎日往復300km弱と云う距離は決して楽な距離ではないけれど、そのうち200kmくらいは高速だし‘¥1,000渋滞’もなくマイペースで走れるので助かります。

 

‘○○ICから先☆◇km渋滞中’

 

とか表示されてたら、たまったものではありませんが...。

 

ところで、そもそもこの病院の面会時間は何時からだったんでしょう? この日は15:00前に病院に着いたのですが、面会時間内かどうか不明です。って云うか 、長男が退院して帰宅するまでずっと知らないままだった気がします。(ぉぃぉぃ

 

長男は顔のむくみもだいぶ治まり見た目も元気を取り戻している感じで、お昼から食事も許可されたそうです。まだあまり食欲はなさそうだったけど。

 

しかし、元気になってくるにつれて、それと同時にいろいろ考え始めたのか、しばらくしてボソッと

 

「なんで事故っちゃったのかなぁ...。」

「RFは直らないかなぁ?やっぱり廃車なのかなぁ...。」

 

自問自答をしているのが聞こえました。

さっきのバイク探しの極楽とんぼはどこに行ったやら、事故の記憶が無いとは云えここは本人もきっと辛いところでしょう。

 

また、まだまだ断片的ではあるものの、少しずつ事故当日のことを思い出し始めたようです。

あの日は自分なりの計画(お昼頃いわきに到着の予定だったらしい。)よりも遅れていたらしく、ひたちなかのコンビニでトイレを借りただけで、

 

‘今ひたちなか市’

 

とバイクに跨ったままメールを送って、その後すぐに走りだしたことを思い出したそうです。

つまり、トイレ(休憩)の時だけ停まっただけで、後はずっと走り続けていたのでしょう。その結果で集中力が途切れてしまい事故を起こしてしまったとしても仕方ないと思えました。

それが「ツーリング初心者」なのかもしれません、今さら云っても後の祭りなのですが...。

 

ケガの回復はまだまだなものの、だいぶ落ち着いて元気も出てきた様子なので、この日はカミさんを一端自宅まで連れて帰り休ませることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【8/31(月):4日目】

 

 

 

 

 

(台風11ごうが接近中の常磐自動車道)

 

この日は台風11号の接近で、朝から時々強い雨がザーッと降るような天気でした。そんな中、この日は自分ひとりで病院に行くことにしました。

長男は常時付き添わなくても良い位まで回復し始めているし、逆に今回の事故に振り回されている次男が明日から新学期も始まるから準備もさせなきゃだし、それにカミさんも少し休ませないといけないし、そんなワケで二人とも家に残すことにしたのです。

それにしてもオレってタフだなー。(笑)

 

この日はam9:00過ぎに担当医のサヤカ先生から今後についての説明があると云うことなので、それに間に合うように少し余裕を持ってam6:30過ぎに自宅を出発しました。

また、長男の状態によっては翌日午前中に退院(正確には転院ですが。)になるかもしれないと云うこと、さらにその日の夜に台風接近もありそうなので、場合によっては病院近くのビジホに泊まる用意もしていきました。

 

常磐道は台風接近の影響で時々かなり強い雨が降る天気で、風も少しずつ強くなってきているみたいです。台風は今夜半頃北関東に再接近し太平洋沿いを通過するとのことで、帰りの時間頃が心配です。

...何が心配って、エスティマのタイヤがそろそろ ‘寿命’ だったのです。←今回の事故とはまったく別次元の話。(汗)

 

台風のせいか、常磐道はガラガラです。

前日と同じくエコドライブで走り病院には確かam9:00少し前に着いたのですが、台風の雨にもかかわらず病院正面の駐車場は既に満車、裏手の第2駐車場もかなり埋まっていました。

どうにかクルマを停め、長男の病室まで行きそのまま待っていると、サヤカ先生が来て状態を説明してくれました。

当初心配された脾臓の損傷は心配なく、外科的治療は何も必要ないとのことで、明日9/1(火)に退院(転院)が許可されました。後は地元の病院で骨折しているところを治すことになります。...って云うか、サヤカ先生の説明は、

 

‘後は地元の病院の先生に聞いてね。ウチ(泡立綜合病院)ではもう何もすることないから。’

 

的な云い方にも聞こえました。あまりに淡々と話してくれるし、そりゃあ確かに云われる通りなんだけど、ねぇ...。(考えすぎか?)

話のついでに診断書の発行をお願いすると、サヤカ先生は

 

‘え、いるの?’

 

的な顔をしてこっちの顔をみています。

 

‘(別の)傷害保険請求に使うから必要なんだよ!’

 

とは云わなかったけど、交通事故なのに診断書が必要なんてことはもしかしたらあまりないのかもしれないなぁ。どうなんだろ?

 

サヤカ先生の説明が終わると、今度はソーシャルワーカーの方が病室に来て、治療費の支払いについて説明がありました。

ソーシャルワーカーの方がアイアイ保険と直接連絡を取り治療費支払いの処理手続きをしてくれるので、こちらの自己負担は不要とのこと。確かにこれでは診断書は不要でしょう。

...ってさっきも云ったけど他の傷害保険で必要なのさ。

 

しばらくすると、看護師さんが診断書を持ってきてくれました。

その診断書、普通のワープロで書かれたモノを印刷しただけみたいな紙です。それを自分で入退院受付窓口に持って行って承認印をもらってきてくれとのこと。セルフ・サービスかよ?(笑)

 

発行してもらった診断書には

 

 

病名:

全身打撲、頭部打撲、下顎挫創、右肩・鎖骨・前胸部擦過傷、右鎖骨骨折、脾損傷、左第2指骨折等

 

 

付記:

上記疾患により09年8月28日から09年9月1日まで( ■入院加療 ■自宅安静 ■通院加療 ■休業)を要する

 

 

と書かれていました。

確かに書いてある通り(診断書なんだから当たり前)なんだけど...、あまりにも淡々と書かれているので

 

‘こんなもんなのかぁ...。’

 

と、少し冷めた目で診断書を見て、いや ‘眺めて’ しまいました。(笑)

 

窓の外は台風の影響で風雨が強まってきています。

病室の中は至って平穏...と云うワケではないけど、退院(転院)が決まると余計にすることがない(もともとジッとしてるしかないだけだから同じなんだけど。)し、後はもう淡々と明日を待つだけです。

長男は、午後には点滴と ‘おしっこチューブ’ が外されようやく自由の身に。自由と云っても鎖骨と指は骨折したままだし、固定している上に打撲のショックでまだマヒしている手は自由に動かないし、それにまだ痛みも伴ってなかなか辛そうですが、それでも自分の足で歩いてトイレに行けるんだから良しと思わなきゃね。

 

食欲も少しずつ戻ってきているようですが、手がうまく動かない(動かせない)ので飲食はなかなか大変です。PTを目指している長男にとっては「良い経験」になるでしょう。まぁ、あまり体験したいことではないだろうけど。

それよりも、どうも親に毎回食べさせてもらうのも嫌みたいです。‘気にするな’と云うけど、彼なりにすごく気を遣っているのが判るしムリもないでしょう。こっちだってこんな状態まったく想像してなかったよまったく。(笑)

 

退院の手続きは、翌日午前中(9:00〜10:00間)にしてくれとのこと。また台風が接近していることもあったので、この日の晩は病院近くのビジホに泊まることにしました。連日の300km往復から解放され、少しはゆっくり眠れる時間がとれそうです。

ビジホは楽天トラベルで朝食付きを探したんだけど、菅生で泊まる予定だったのにまさか泡立市で泊まることになろうとはね...。(苦笑)

 

面会時間終了の21:00ちょっと前に病院を出てビジホに向かいました。

肝心の台風はたぶんこの時間に最も接近しているはずなのに、あたりは拍子抜けしそうなくらい静かです。昼間〜夕方の方が風雨が強かった気がするなぁ...。

 

 

 

 

 

 

 

【9/1(火):5日目】

 

台風一過の快晴...と思ってカーテンを開けたら、窓の外はどんよりと曇った空です。

ホテルで朝食をとり9:00前に病院へ移動。ホテルから病院まではわずか5分ほどの距離でした。

 

長男が泡立綜合病院を退院する日が来ました。最初はホントにどうなることかと心配したけど、思ったよりも?順調に回復し、あとは地元の病院で整形外科の治療を継続するのみです。

 

ところが、病室に行くと長男は朝食もほとんど食べておらず、未明から少し調子が悪いと云います。どうしたんだろう?

熱はケガのせいで多少高めな状態が続いているものの、特に大きな変化等は見られません。けれど長男は少し寒気がすると云い、ふとんをかぶって寝てしまいました。

その後1時間ほど眠ったら落ち着いたようです。でも帰りの道が心配だなぁ...。

 

しばらくして、サヤカ先生の最後の回診。

...と云っても擦過傷の処置だけで終わりです。顎の絆創膏なんかホントにテキトーだよなぁ。(笑)

 

退院の手続き(って云っても支払いも何にもないんで入退院受付窓口で挨拶して終わり。)を終え、am10:00過ぎに病院を出ました。この日はいったん自宅に帰り、翌日改めて地元の病院に受診に行く予定です。

 

泡立綜合病院を出発して市内の国道6号を走っていると、後部座席に座った長男が

 

「あ〜 なんかこの辺走った覚えがある...。」

「(道路沿いにある)このお店見たような気がするなぁ...。」

 

等と云いながら、ボーッと窓の外を見ていました。しばらくすると今度は

 

「RFは直らないかなぁ...?」

「RFにもう1回乗りたいなぁ やっぱり。気に入ってたしなぁ...。」

 

と、少し淋しそうな、つぶやくような声が聞こえてきました。それを聞いているこちらも少し心が痛みます。でもどうにもならないしなぁ。

 

彼は、しばらく窓の外の景色を見たりしていたのですが、少し疲れたのか、それとも今ひとつ調子がすぐれないのか、常磐道を走っている間はほどんど眠ってました。

その常磐道を降りてから自宅までは後40分ほど。目を覚ました長男にお昼のことを聞くと

 

「ナゲットが食いたい!」

 

あれ、気持ち悪かったんじゃなかったんかい?

どうやらしばらく寝たらほぼ落ち着いたそうなので(笑)、自宅から一番近いマックに寄って持ち帰りでナゲットとハンバーガーセット(自分は何にしたっけ?)を買って帰りました。

 

自宅に着くと、つい先日までRF400RVを駐めていた場所がぽっかりと空いているのを見て 、

 

「あそこにRFを駐めてたのになぁ...。」

 

とつぶやく声が聞こえてきました。

愛車を失った現実を少しずつ実感したりしてるのかなぁ?それにしても凹んでいるかと思いきや腹が減ったと言い出したり、よくわからんヤツだ。(笑)

 

帰宅後、茨城警察署のシマミネさんに転院になったことを連絡しました。

シマミネさんとしては、転院になる前に取り調べと現場検証を済ませたかった様で少し不満そうだったけど、本人がまだ調子良いと云える状態じゃないから仕方ないです。

地元の病院で(再)入院して手術を受けるので退院後に改めて出向くことを説明し了解してもらいました。...とは云ってもあまり先延ばしには出来ないでしょうけど。でも、ケーサツは逃げないし。追いかけるのは得意だろうけど。(ぉぃぉぃ

 

夕方、赤男爵のムギワラさんから電話連絡がありました。

赤男爵泡立店が、なまはげ板金からRF400RVを引き上げてくれたそうなのですが、その際に事故現場からの車両引き揚げ料(¥20,000)を立て替えてくれたそうです。

本当は、事故時に赤男爵かアイアイ保険に連絡すれば引き上げは無料だったそうなんだけど、事故った本人が(たぶん)意識を失っていたか、意識があっても何もできない状態だっただろうから、警察の判断(処理)に委ねるしかなかったし仕方ないです。

 

なまはげ板金から引き上げた後、今は赤男爵に預かってもらっているRF400RVを廃車にするかどうかはオーナー本人の判断だし、近いうちに現場検証などで(本人が)もう一度泡立市まで行かなければならないから、それまでRFを預かってもらいたいことをお願いしておきました。

そう云えば、

 

‘あのRFって確か泡立の赤男爵にあったんだよなぁ...。

 

と長男が云っていたのを思い出しました。

RF400RVの購入時の整備記録簿を見ると、確かに「赤男爵泡立店」と書かれています。近所の赤男爵に移動する前に整備したのでしょう。(自分的にはその整備状態には少々不満がありましたが...。(余談))

そのRF400RVが、全損状態で再び泡立店に引き揚げられるとは誰も思っていなかっただろうなぁ...と思うと、ちょっと複雑です。

 

 

 

 

 

 

 

【9/2(水):6日目】

 

久々に自宅で寝た長男、朝からどことなく調子悪そうです。

前日の移動の疲れもあるのかなぁ?それとも帰ってきてから長時間PC前に座っていたせいかなぁ?昨日までベッドの上でじっとしてたからねぇ...。

 

朝一番に泡立綜合病院で預かった書類とレントゲン写真を持って地元の昭和総合病院(仮名)に受付を済ませに行きました。

この病院の整形外科はいつも予約の方々で混雑していて、新患はなかなか順番が回ってきません。いつだったか(自分が膝を痛めた時?)、朝8:30過ぎに受付して実際に診察してもらったのは14:00頃だったような覚えがあります。(担当医もそれまで休み無しだから大変だろうけど。)

 

泡立綜合病院の紹介状があるので順番は優先されると云います。なので慌てて自宅へ戻り長男を連れて再び病院へ。

でも、この日は整形外科の医師がひとり(もう一人の医師は休診。)なので、結局長い時間待たされ、診察の順番が回ってきたのが正午近かったと思います。

長男は順番を待っているウチに少し辛そうな顔をし始めていたので、看護師さんにお願いして空いている診察室で横にならせてもらってました。

 

診察したゴトク先生(科名)の話では

 

「このままでも大丈夫だけど、どうしようか? まだ若いし、思い切って手術しちゃおうか。」

 

長男本人の希望もあり、「手術して固定」することにしました。でも、‘まだ若いし’って、歳が関係するのか?

 

手術で固定される鎖骨のプレートは半年〜1年以内に必ず抜去する必要があることと、指のピンは約5週間後に抜き取るそうです。

ゴトク先生の都合もあるようですが

 

「来週火曜日...、いや月曜日の朝一番でやっちゃおう。」

 

そんなワケで手術は翌週月曜日の午前中に行うことになり、前日の日曜日午後に入院が決まりました。

診察の後に、普通なら手術の前日に行う述前検査を受けました。結局ひと通りの検査などが終わったのが14:30頃で 、長男はかなり疲れた様子でしたが、そのワリには

 

「パインシャーベットが食べたい。」

 

とぬかしよる。

おいおいアンタ疲れたんじゃないのかい?ま、食欲があるだけ良しとしよう今日のところは。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

【9/5(土):9日目】

 

 

 

 

 

(赤男爵に移送されたRF400RV)

 

この日は長男の体調も問題なかったので、RF400RVを預かってもらっている赤男爵泡立店へ出向きました。

RF400RVをいつまでも預かってもらっているのも良くないし、それよりもRF400RVが直せる可能性があるのか、それともやっぱり廃車なのか、本人に判断させる必要もあったからです。

本当はおはぎ警察にも行く必要もあるのですが、どうせ現場検証だの取り調べだの時間がかかるだろうし、次の機会にさせてもらうことにしました。

 

9:30頃自宅を出発。

この日はいつもと違うルート(北関東自動車道上三川IC経由)を使ってみることに。少し大回りになることは判っていたけど、半分は気分転換です。(誰の?)

それにしてもこの北関東道、道が新しいのですんごく走りやすいです。ちなみに相変わらず ‘エコドライブ’ に徹します。(笑)

 

赤男爵に着いたのは12:00ちょっと前だったでしょうか?

 

「すみません、RF400を預かってもらっている○○ですが。」

 

長男のRFは店舗2Fの片隅にひっそりと置かれていました。他にも数台、不動車や下取り車の様なオートバイが置かれてますが、 ‘壊滅状態’ の車両は長男のRFだけでした。当たり前だわな。

そして、(改めて...本人は初めて)実車を見ると

 

「もしかしたら、頑張れば直せるんじゃないか?」

 

と云う期待は、まったくもってムダな期待だったことが改めてわかりました。

 

 

 

 

 

(大きく歪んだフレームと折れたハンドル)

 

1週間前に暗い中で見た時点でカウルやフレームが逝っていることはわかっていたけど、こうやって改めて明るいところで実車を見ると、どうにもならないことが良くわかります。

 

上の写真を見る限り、転倒によってカウルが擦れて歪んでいる位にしか見えないかも知れませんが、そのフロントカウルはかなりグシャグシャに歪んでいて、左側は ‘引き千切れて’ います。

また、カウルを支えてステー類も原型を全くとどめていないほどに曲がったり折れたりしています。

さらに、転倒の影響でリアカウルのテールライト下あたりも縦に割れています。そしてマフラーも潰れて歪んでいます。

正直云って、フロントフォークがほとんど(全く?)変形していないのが奇跡に思える程です。

偶然にも、トラックへの激突した時にフロントタイヤが当たらなかったからでしょう。スライディングして滑り込んだみたいですから。

 

反対側(左側面)を見ると、トラックのバンパーに激突したと思われる左側フレームが大きく歪んで、フレームが変形したことでエンジンマウントの位置が大きくずれ、その影響でエンジンの一部にクラックが入ってしまっています。もちろんラジエターもボロボロに損傷しています。

ハンドルは両方とも曲がり、特に左側は完全に折れてしまっていて、スイッチ類も壊れています。左側のウィンカーは根本から無くなっているし、右側も道路の摩擦で大きく磨り減っています。ミラーも同様です。

 

長男は ‘もしも直せたら直してまた乗ろう。’ と云う気持ちが強かったみたいですが、実車の悲惨さを見てあきらめたのでしょう、廃車の手続きをする判断をしました。

廃車費用はかからずに済みましたが、彼なりに一生懸命バイトして買ったオートバイが半年もしないうちに何も残らないと云うのも、もしかしたら自分のケガと同じくらいショックだったことと思います。

 

長男は記念に?カウルのフィン(彼は ‘エラ’ と呼んでいた。)をもらっていました。その部分はRF400RVの最も特徴的な部品です。ちなみに残った車両はきっと部品取り車になって赤男爵の在庫部品になるのでしょう...。

 

 

 

 

 

(水木海水浴場にて)

 

廃車の手続きを済ませ、赤男爵を後にしてのんびりと帰ることに。すると長男が

 

「せっかくだから海が見たい。今年は海に行ってないし。」

 

と云い出したので、ナビで近くの「水木海水浴場」を探して立ち寄ることに。

この日は天気も良く、海水浴シーズンがとっくに終わったその海はとてもきれいで静かな海でした。

しばらく海を眺めたりしていた長男は、帰り間際に「RF400RF BYE」砂の上に大きく書いて写真を撮っていました。

あきらめがついたのかなぁ?

あまり多くは語らないけれど、でもやっぱり淋しいだろうなぁ。

 

国道6号まで戻り、

 

「お昼、どうする?」

 

と長男に聞くと、

 

「マック!」

 

へ、またマックかよ?(笑)

 

その後は常磐道経由で夕方前に帰宅。長男は、痛みは治まらないもののあまり疲れた様子もなくひと安心です。それどころか、帰宅後WebでGooBikeのサイトを見て

 

「赤のRFも良いかもなー。」

 

などと云っています。どこまでシリアスでどこから脳天気なんだか...。(笑)

それよりもまずは、来週の手術で身体をしっかり治すことが先だぞ!

 

 

 

 

 

 

 

【9/6(日):10日目】

 

予定通り、14:00に地元の昭和総合病院に入院。

入院と云っても(左手と 右肩は不自由だけど)自分で歩けるし、シャツを着てしまえば手だけケガをしているようにしか見えないし、おかげでこちらもピンとこない感じです。

本人も今日は入院しても何もすることがなく、ヒマをつぶすしかないですね。

 

明日は9:00から手術なので食事は21:00まで、飲み物は24:00までだそうです。

無事に終わって早く退院してくれれば、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

【9/7(月):11日目】

 

手術当日、自分とカミさんは朝8:30に病院入りしました。

長男は既に点滴がつけられています。麻酔に関連する何かって聞いたような聞かなかったような...。ちょっと覚えてませんが頭は打ってません、ワタシ。(ぉぃ

 

9:00少し前になると看護師に促され手術室のあるまで2Fまで移動 、そして本人は歩いて手術室に、家族は手術が終わるまで待合室で待機です。

控え室には応接セットとテレビが置かれていて、‘焦らず慌てずじっと待ってろ’ってことかと思いますが、正直云ってあまりリラックスできる気分では無いですねぇ。

 

ゴトク先生による述前の説明によれば、順調に行けば11:30頃には終わるとのことで したが、ほぼ予定通り11:30を少し過ぎた頃に無事終わったと看護師さんが伝えてくれました。

待合室を出ると、ベッドに寝かされた長男もちょうど手術室から運び出されたところでした。

 

「もう覚めてますよ。(全身)麻酔が切れる頃なので、この後痛みが出てくるでしょう。」

 

ゴトク先生の云うとおり、長男は病室に戻ってまもなく強い痛みを訴え始めました。 まぁ、骨に穴開けて金属入れてるワケだし、想像しただけでも痛そうだよなー。

 

長男が病室に戻った後、手術の状況が説明されました。

 

「 鎖骨は(交通)事故の折れ方で思ったよりひどかった。手術して正解でしたね。プレートを鎖骨の形に合わせて曲げて、それを留めています。」

「指は、ワイヤーを2本入れました。完全に繋ぐ(たぶん、隙間無くと云う意味だと思う。)場合は開いてプレートを入れるんですが、その場合どうしても筋を痛めてしまい後遺症が心配なのでそれはやってません。」

「前の病院の処置が良かったので助かりました。傷がしっかり治ってないとその傷口を避けて切開しなければならないんだけど、それだと固定するのに支障がでてしまうので。でも傷口がちゃんと治っていたので大丈夫で、傷跡の上から開けました。」

 

レントゲンの映像に写った鎖骨のプレートは10cmくらいあったかなぁ?指は3cmくらいの細いピンがクロスで刺さっている感じです。こんなのが身体に入ってるんだから痛いのも頷けます。

その痛みに加えて、さらに顔につけられた酸素マスクがかなり鬱陶しいみたいです。でもゴトク先生の指示で4時間ほどはガマンしろとのこと。看護師さんにマスクの理由を聞いてみると、酸素吸入で回復を早めるためらしいです。よく、ライダー等が負傷した際に酸素カプセルに入って回復を早めると云うのブログなどで見かけましたけど、それと同じ狙いなのでしょうか? 数年前に長男がスノボで足を骨折し手術を受けた際にはそんなことしなかった。技術の進歩というヤツなのかぁ?

 

それにしてもちょっと? いや、けっこう苦しそうです、マスクそのものが。(笑)

長男はその後、痛み止めの座薬を投与してもらったら少し軽減されたらしく、少し眠ってました。

 

夕方には水分摂取の許可も出たし、驚いたのは夕食もOK(それも完全な普通食)でした。先生曰く

 

‘お腹もきっと空くだろうしね。’

 

本人は「食欲無い...。」とか云ってたくせにある程度食べて(食べさせてもらって。)ました。(笑)

‘おしっこチューブ’(正式名は何て云うんだろう?)も、外して大丈夫だそうです。(本人の希望で明日朝取ることにしたらしいですが。←ときどき ‘蟻の心臓’ が頭を擡げる長男ですから。(笑))

 

本人的には泡立で入院しているときより辛い(痛い)らしいですが、親としては不安な状態で泡立の入院していた時に比べれば、今回の入院は「傷の手当て」だけなワケだし、たぶん数日で退院できる見通しなのでかなり気が楽です。

それに手術も問題なく終わったしね。

 

そう云えば、それまで鎖骨バンドで見えなかった右肩付近の擦過傷は、新しい皮膚がすっかり再生していてキレイに傷口がふさがっていました。事故当日からテープで傷口を密閉して自己の治癒力で直す方法とか。かさぶたがまったく出来ず傷口がふさがっているのには少し驚きでした。

 

何はともあれ、とりあえず今日は「みなさんお疲れ様」でした。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

【9/11(金):15日目】

 

この日、無事退院となりました。

手術の翌朝まで強い痛みがあったそうですが、その後は徐々に落ち着いたそうです。

水曜日頃からは

 

‘ヒマだ...。’

 

と云っていたくらいでしたからもう心配はないでしょう(笑)。まぁ、まだ痛みは多少伴うみたいですが。

来週土曜日(9/18)に通院、順調に治れば指のワイヤーは1ヶ月ほどで抜くことが出来るそうです。

 

 

 

 

 

 

 

【9/14(月):18日目】

 

翌日の退院が決まった9/10(木)に、おはぎ警察署に連絡を入れました。けれどもシマミネさんは週末まで出張とのこと。

できれば退院翌日の9/12(土)におはぎ警察署に行ってしまいたかったのですが、シマミネさんの都合で9/14(月)か9/16(水)にしてくれないかと云うことなので、しかたなく今日9/14(月)におはぎ警察署に行きました。

もちろん理由は(事故の) ‘取り調べ’ と ‘現場検証’ です。ちなみに長男は未成年なので親権者も同行してくれとのこと。まぁ最初から一緒に行くつもりではいましたが。

それにしても、事故当日からいったい会社を何日休んだんだろう?だんだんマヒして判らなくなりそうです。(汗)

 

この日は自宅を7:00過ぎに出発し10:00ちょっと過ぎにおはぎ警察署に到着、(渋滞ほどではないけど)平日の出勤混雑で思った以上に時間がかかりました。

2階にある交通課に行くと

 

「係長、Tizyさんが来られました。」

 

と呼ばれシマミネさんのご登場。

柔らかい北関東訛りは変わらないけど思っていたより若い方でした。でもやっぱりお巡りさんだけあってフランクな感じはしないです。(そんなことはどうでも良いか。(笑))

さっそく事務所(?)で現場の写真と見せてもらいながら事故の概要を説明され、間違いないかを本人に確認した後現場検証のため事故現場へ移動、現場はおはぎ警察署からさらに10kmほど北上した国道6号上でした。

ちなみに、事故現場の写真を見たがらない方もいるらしいです。長男の場合は事故の記憶がないからまるで人ごとのような顔で見てましたけどね。(笑)

 

 

 

 

 

(事故現場(‘旅館礒野家’(仮称)前))

 

おはぎ警察署を出て現場に向かう途中、長男は断片的であるもののその道を走ったことを思い出したりしているようでした。

そして事故現場に到着、道路脇の空き地(どこかの駐車場のようでした。)に車を駐めて道路を見ると、事故から2週間以上経過しているにも関わらず、路面には(おそらくリアタイヤの)10m近いブレーキ痕や、ぶつかった状態を示すマーキング(チョーク)の後等が残っています。

そして、シマミネさんがそれらを指差しながら現場の状況を簡単に説明してくれました。

 

その後、シマミネさんはどの辺りで停まっているトラックに気がついたのか等、当事者本人の長男にひとつひとつ確認をとりながら現場検証を進め、記録書?を作成しています。

事故の状況(記録書)は簡単に云えば

 

‘仙台(菅生)のオートバイレース観戦に行く途中、現場付近を車の流れに乗って55km/h程度で走行中に前方不注意でトラック後部に追突。

相手にケガはないものの自分は鎖骨などを怪我し泡立綜合病院で治療。被害者(車)は保険を適用し対応中。’

 

確かこんな内容でした。

この、‘55km/h’ と云うのは、おそらく現場付近の法定速度が60km/hの道路であることに対して「スピードの超過はしていなかった。」ことを意味しているものと思われます。

つまり 「明確な」交通違反はしていない、ただし前方不注意...「安全運転義務違反」で、裁判所の判断にもよるが2点の減点になるかもしれない、とのことです。

それと、未成年の場合はどうのこうのと云っていましたが、はっきりいって良くわかりませんでした。まぁ、違反に伴う反則金が課せられても仕方ないでしょう。(後で調べてみたら、二輪車の場合2点減点で¥で7,000の反則金になるみたいです。)

 

シマミネさんによる聞き取り・確認が終わった頃(シマミネさんともうひとりの警察官の方が二人で何か確認をしている時)、道路の向かい側にある旅館礒野家(仮称)からオバチャンが現れ、道路越しに何か話しかけてきました。

ひっきりなしに通過するトラックなどの音でよく聞き取れないので、反対側に渡ると、

 

「あのオートバイの(事故の)人?」

「(長男を指差して)あ、自分ではなくアイツです。いろいろご迷惑をおかけしました。」

 

どうやら事故の際にいろいろ対応してくれた方みたいで、現場検証をしているのに気がついて旅館から出てこられたようです。

 

「あらぁ〜...。大したことなくて良かったわねぇホントにもう。(笑)」

「事故の音を聞いてね、慌てて出て来てみたらトラックの後でオートバイが倒れてるじゃないの。ビックリしたわよ、もう。」

「トラックの運転手に救急車呼べって云ってるのに 、運転手はパニックで会社になんか電話してるし、お兄ちゃん(長男のこと)は顎からいっぱい血を流してるし、慌てて救急車呼んだのよ。」

「お兄ちゃんの血でアタシのシャツも真っ赤になっちゃったんだけどね。(笑) でも良かったわよ、大したケガでなくて。道路の反対側に飛び出してたらはねられちゃってたわよ。」

もうバイクはやめなさいよォ?(笑)

 

オバチャンの話はざっとこんな感じでした。 ‘バイクはやめなさいよ’ と云われて、自分はなんと答えたら良いやら...。(笑)

 

確かに車は流れているものの交通量はそれなりにある道路で、ひっきりなしに車、それもトラックなどの大型車が通るのでなかなか道路を横断できないほどです。

オバチャンの云うとおり、トラックに追突した際に勢いで反対側車線に投げ出されたりしなくてホントに良かった。反対車線に出ていたら間違いなく対向車に跳ねられて死んでいたでしょう。

また、これが誰もいないような道で、(そんなことないはずだけど)トラックが慌てて現場から去ってしまったりしてたらどうなっていたんだろう?と思うと、ねぇ...。

いろんな人に助けられたことを、きっと本人も実感しているはずです。

 

現場検証が終わると、記録書?をその場で作成・確認し、本人(長男)と立会人(自分)が署名・捺印してこの日の現場検証は終わり ‘現地解散’ となりました。

ひと通り終わった後、シマミネさんが

 

「ケガが治ったらこれに懲りずにまた茨城に来てください、良いところだから。」

 

と云ってくれたのが印象的でした。

 

帰りがけに泡立綜合病院に寄り、挨拶とお礼をしてこの日の予定は全て終わりました。

これで、今回の事故に関してこちらに足を運ぶことはもう無いでしょう。長男本人も、気持ち的に一区切りしたんじゃないか、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

【最後に】

 

まずは「確実に治る」ケガだけで済んだことに感謝します。

そして、本当に多くの人達に助けられたことにも心から感謝します。

旅館礒野家...本当の名前は「磯原シーサイドホテル」です。こちらの女性従業員の方にも本当にお世話になりました。ありがとうございました。

現場に駆けつけた救急隊の方(レスキューも出たらしい。)、警察の方にも心から感謝します。

2つの病院...「日立総合病院」それに「秀和綜合病院」の担当の諸先生方、看護師他の皆さんにも本当にお世話になりました。ありがとうございました。

高萩板金、レッドバロンの皆さんにもいろいろとご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

そして、被害者である‘マコト運送’(これは仮名のままとします。)様にも大変なご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。

 

こうやって書き並べると、本当に多くの方々に助けられたんだと思います。

そして、そう簡単には経験できない(したくないのが本来ですが。)、たくさんの貴重な体験をしたはずです。

その経験を決して忘れず、そしてどう跳ね返すか、どう自分の肥やしにするかは自分次第でしょう。

 

 

立場上、親として小言を少々。

 

@ まず、自分のミスで事故を起こしてしまったことを大いに反省しなさい

A 次に、事故を起こしたことでどれだけ多くの人に心配と迷惑をかけてしまったことを充分に考えなさい

B なぜ自分が事故を起こしてしまったのか、その原因をとことん追求しなさい

C 自分が二度と事故を起こさないようにするためにはいったい何が必要なのかをしっかり考えなさい

D まわりの人達に、本当に安心してもらうにはどうすれば良いか、きちんと考え示しなさい

 

自分のケガが治ればそれで良いってものではない。

人間は多くの人がつながって生きているからです。だから「責任」と云うものが存在する、それは人間以外の動物には存在しないものです。

なぜ責任が必要か。

それは人間社会だからです。

「自分が関わった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。」 それが責任。

 

今回の事故で自分はどう責任を取るのか、そこをよく考えて欲しい。

それができたら、それができてから初めて、再びオートバイに乗ることを考えるべきだ。もう子供じゃないんだから。

 

親としては、一度事故を起こしてしまうとやはり

 

‘バイクは...と云うよりもむしろ長男が危なっかしくて、とても「乗って良い」とは云えない。’

 

と云うのが本音です。

しかしその一方で、ライダーのひとりとしては

 

‘二度とない教訓を決して忘れず、でもリベンジしてまた走って欲しい。’

 

とも思う。まぁ、ちょっと複雑ではあるけどね...。

 

 

 

[追伸]

    長男は11月初旬で指のリハビリまでを終え、残るは鎖骨のプレートを来春に抜去するのみとなりました。

 

[追伸2]

    長男は2月下旬に無事鎖骨のプレートを抜去、これで一通り完治となりました。

 

 

 

 

− 了 −

 


 

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