「あっちゃんが事故ったって!!
」
次男から連絡が入ったのは8/28(金)12:24、職場で昼食を食べ終えた頃のことでした。
長男が仙台に向けて出発したのはこの日の朝am7:00ちょっと過ぎ。
彼は、その週末に菅生で開催される全日本ロードレース観戦と、彼自身初のソロ・ツーリングを兼ねて、レース前日の8/28(金)に仙台に向けて出発しました。
正直なところ、多少の不安がありました。何しろ5月の初ツーリングの際に、出発して1kmにも満たないところでいきなり握りゴケしてシフトペダルを破損し(詳しくはこちら)泣く泣く(?)ツーリングを断念したことがありましたからね。
まぁ、そんなことはその時だけでしたが...。(笑)
‘ちゃんと計画してるのか?’
‘どこに泊まるのだろうか?’
‘またコケやしないか?’
まさに親心と云うヤツ、心配は尽きません...、って人のこと云えないかもしれないけど。(苦笑)
もちろん自分もレースを観に行くつもりでいました。
昨年の菅生は都合で予選しか観れなかったので、今年こそは決勝を観戦しようと決めていました。
ただ、土曜日に行われる予選はそれほど観たいと思っていなかったし、わざわざ泊まりで行くほどのことでもなかった(ナゼか自分の中ではそれほど盛り上がっていなかった。)ので、決勝当日の未明に自宅を出発し日帰りで観に行くつもりでいました。
今年はZZRだし、去年のように雨さえ降らなければ日帰りなんて楽勝です。(反対に、去年は雨の中をよくバイクで行ったよなぁ...と我ながら感心しました。)...ってバイクの種類は関係ないか。(笑)
一方の長男。
レース観戦は前述の通り8/29(土)〜8/30(日)の2日間ですが、1日早
い8/28(金)に自宅を出発し、その日1日をかけて国道6号を仙台まで走ると云う移動兼ソロ・ツーの計画を立てていました。
元々は友達と一緒に行く計画みたいだったけど、その友達が都合(単純に ‘費用的問題’ と云う実に大学生らしい理由らしい。(笑))で行けなくなり、結局ソロ・ツーに落ち着いたようでした。
「で、どこに泊まるつもりなんだ?」
長男に確認すると、8/28(金)の晩こそ ‘人生初のビジホ’ (と彼は表現してました。(笑))を予約していたものの、予選を観戦する8/29(土)の夜は宿泊先を決めておらず、仙台市内のネットカフェを探してそこに泊まると云います。
「なんでわざわざネットカフェになんか泊まるんだよ?」
「予選で撮った写真(データ)を整理したいからネットカフェでPC使おうと思って。」
なるほど...、ってホントはバイク雑誌などで見かける ‘ネットカフェに泊まる’ と云うこともやってみたかったんだろ?(笑)
「お父さんもネットカフェに泊まれば?」
「冗談じゃない。なんでお父さんがそんなところに泊まらなきゃいけないんだよ?(笑)」
自分がネットカフェに泊まれば彼と同じように‘人生初’になるワケだけど、この歳でそんなものは経験したくありませんから。(笑)
ちなみに自分はネットカフェどころかカプセルホテルも泊まったことありません。蜂の巣みたいでキライなんです。
「そんなモン(PCのこと)、今どきビジホにもおいてあるところ沢山あるよ。」
「え、そうなの?」
...なんて知ってるワケないか、何しろ‘人生初’なんだし。ま、何事も経験です。ってちょっと違うか。(笑)
それにしても
・金曜日は仙台まで約350kmのソロ・ツー。
・土曜日と日曜日の2日間は終日菅生でレース観戦
。
・そして月曜日(8/31)には大学の追試があるため、決勝が終わった後はその日のうちに帰宅ししなければならない。
なかなかハードな計画です。(自分も月曜は普通に出勤なんですけどね。)
「まったく、しょうがないなぁ...。」
そんなワケで、当初の予定を変更して自分も土曜日から行くことにしました。
具体的には、土曜の午後に菅生で長男と合流してGP-MONOクラス決勝を観戦し、その日の夜は菅生から20分ほどのところにあるビジホに泊まることに。もちろん無料で使えるPCが用意されているビジホを選んだし、広めのツインで朝食もついていて、ネットカフェよりもずっと快適にゆっくり休めるはずです。(そもそも比べるのが間違いか?)
まぁ、長男がもう少し‘旅慣れ’ていればこんな心配もいらないんでしょうけどね。
甘やかしすぎかなぁ?
そして当日。
自分の方が先に出勤した後、長男は「いったい何泊するの?(笑)」と云うような荷物を愛車RF400RVに積み込み、am7:00ちょっと過ぎにカミさんに見送られ自宅を出発したそうです。
彼が出発して約3時間、10:00頃
「今ひたちなか市です(電球点滅絵文字)」
と云う最初のメールが届きました。とりあえずは自分なりのペースで順調に走っているのでしょう。
「1時間位を目安に必ずバイクから降りて休めよ
、明日も明後日もあるんだから。」
と返信しておきました。なにしろ初のソロ・ツーだし、ろくに休憩も取らず勢い任せで走っているに決まってると思ったからです。案の定、彼は予想通り休憩をほとんど取らずに走り続け、返信したメールを読まないうちに事故を起こしてしまったワケですが...。
‘(次の)メールが来ないけど、まぁ普通にマイペースで走ってるんだろ...。’
12:00になり、お昼ご飯を食べながらそんな風に思って矢先に来た連絡は長男からではなく、次男からだったのです。
「なに?」
「もしもしお父さん? あっちゃんが事故ったって!!」
「え?」
「警察の人から電話があってトラックに追突しちゃったんだって。記憶が飛んじゃってるけど命に別状はないって云ってた。でも肩と手をケガをしてて折れてるかもしれない。救急車で泡立綜合病院(仮称)に運ばれるって云ってた。電話はxxxx-xx-xxxxだって。」
その電話は事故の知らせで、どうやら
現場に駆けつけた警察官(か救急隊の人)が、長男の携帯を使って次男に連絡してきたようです。なぜ次男に連絡したのかはわかりませんが、普段はひょうひょうとしている次男が、その時だけは信じられないくらい冷静に状況を話してくれたのです。
連絡を受けた次男はその時夏期講習の真っ最中、兄からの電話に出たらいつもと違う ‘オッサン’ の声が聞こえ、さらにそれが兄の事故の知らせの電話だったのだから相当ビックリしたそうです。そりゃ当たり前だよなぁ...。
ただ、(次男から)連絡をもらった瞬間に、
‘やっぱりやっちまったか...。’
と云う気持ちが少しだけ頭をよぎりました。
さすがに「事故」は想定外だったものの、転倒くらいはやってしまうかもなぁ...と云う心配はあったので、その延長上のトラブルと思ったのかも知れません。その時はまだそれほど大きな事故とは思っていなかったのも確かです。
電話を切った後、職場の上司に事情を説明し急いで帰宅、先に仕事先から戻っていたカミさん、塾から帰ってきた次男と合流し
、すぐに泡立綜合病院に向かいました。自宅から病院まではおおよそ130kmほどの距離です。
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泡立総合病院 |
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病院に着いたのが16:30頃でした。
病室に入ると、酸素マスクとモニターをつけられ、顎に大きなガーゼの絆創膏を貼った長男がベッドで寝ていました。
左手は副木で固定された上に点滴をされているし、鎖骨を固定するバンドが付けられています。さらに右肩付近には数カ所の擦過傷の治療跡もありました。
正直云って、病院に着くまではもう少し軽傷だろうと思ってました。連絡で聞いた内容から手や肩を打撲している程度で、入院と云ってもすぐに退院になるだろうと楽観視していたのです。
ところが、目の前にいる長男は実際にはかなりの重傷、
「あちゃ〜...。」
まさにそんな感じで、それ以外の言葉(単語?)がしばらく頭に思い浮かんできませんでした。
そのまま ‘固まった状態’ で長男を眺めている(ホントにそんな感じでした。)と、担当医が病室にやって来て、長男の状態を説明してくれました。
「後ほど脳外科の先生から説明があると思いますが、検査の結果、脳には異常は見られず命の心配もありませんのでICUからこちら(整形外科病棟の個室)に移しました。」
「事故の衝突のショックで一時的に記憶が失われていますが、しばらくすれば自然に戻ります。」
「脾臓の一部に損傷が見られ多少出血しているようです。しばらく様子を見る必要があり、場合によっては手術が必要になるかもしれませんが、おそらく1両日中には落ち着くと思います。
」
「そうは云っても事故の場合、少ししてから別の症状が現れる場合があるので、2〜3日ほど経過を見ることにします。」
ここまでが桜庭和志にチョイ似の、外科のマツキヨ先生(仮名)の説明。
‘おいおい、内臓まで怪我してるのかよ...?’
まさに想定外、いったいどんなぶつかり方をしたんだ?
マツキヨ先生の説明が終わると、今度は三流ドラマに出てきそうな整形外科担当のサヤカ先生ご登場。
「全身、特に上半身を打撲し右鎖骨と左手人差し指を骨折していますが、治りますので心配は要りません。」
「(骨折は)手術でしっかりと固定する方が良いのですが、外科治療を優先するのでとりあえずこちら(骨折の処置)は ‘待ち’ になります。」
「鎖骨はキレイに折れているので特に問題はないですが、指の方は遅くとも2週間位で骨がくっつき始めるので
、それまでに手術で固定した方が良いでしょう。」
「顎の傷は先ほど形成外科の先生がキレイに縫ってくれましたから大丈夫です。」
鎖骨に加えて指まで骨折?ヒドイ突き指でもしたのか?状況の想像がつきませんが、とにかく考えただけでも相当痛そうです。
そんな説明を受けている最中に長男が目を開けました。
「ここ、どこ?」
「RFは?」
「今日、いつだっけ?」
「どこに行く予定だったんだろ?」
「オレ、大学生だっけ?」
マツキヨ先生の説明通り、見事に記憶回路が停止している様子で、 ‘いつもにも増して’ とんちんかんなことを云ってます。
それと同時に、こちらが答えたことがまったく覚えていられないようで、すぐに同じことを何度も聞き返してきます。まぁ、元々親の云うことなんて数秒で忘れる脳ミソですが...。(と冗談を云ってる場合ではないですね。)
長男の質問に答えながら、こちらからも問いかけます。
「大丈夫?わかる?」
「大丈夫、わかってるよ。さっきは寝てたみたいだ。」
と長男は答えるのですが、実際には寝てないし数分もしないうちにまた同じことを何度も聞き返してくるのです。
そんな兄の様子を見ていた次男は、最初のうちはふざけているのかな?と笑っていたものの、あまりにも同じことを何度も何度も聞いてくる兄の様子にだんだん不安になってしまったようです。
そのやりとりと前後して、看護師さんからおはぎ警察署からの伝言を伺いました。折り返し電話を入れると、担当のシマミネさん(仮名)が出て事故の状況を教えてくれました。
「息子さんは大丈夫ですか?」
「右鎖骨の骨折と〜(中略)〜と云う状態です。」
「そうですかぁ...。大変なケガでしたね。」
「それで息子さんの事故なんですけどね、トラックの前の車が右折しようとして停車して、トラックもその後で停まったところに、息子さんのオートバイが追突してしまったようです。」
「そうですか...。」
「それで今回の事故なんですが、息子さんが入院してしまうほどの事故ですので、人身事故として扱わせてもらいますね。そのため取り調べと現場検証が必要になります。」
「わかりました。」
「それから追突した相手はマコト運送(仮称)、連絡先はxxxx-xx-xxxxですので連絡を取ってください。」
「わかりました。」
「オートバイはこちらで引取業者を手配させて頂きました。なまはげ板金(仮称)でxxxx-xx-xxxxですのでこちらも連絡を取ってください。」
「わかりました。ありがとうございます。」
穏やかな南東北訛り?で話すシマミネさんとのやりとりはだいたいこんな感じだったと思います。
電話を切った後、カミさんにマコト運送に対して謝罪と保険でトラックの修理を対応させてもらう旨の連絡してくれるように頼み、こっちはなまはげ板金に連絡を入れました。
長男が、保険などの書類はRF400RVに載せていると云っていたのを思い出し(実際にはRF400RVに載せられていたのはコピーで原本は長男の自室にあったのですが...。)、保険会社に連絡するにしろ何にしろ、その書類などを引き取る必要があったからです。
それに、RF400RVを修理するにしろ廃車にするにしろ、この後のことについてもなまはげ板金と相談しなければいけません。
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(なまはげ板金にて) |
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なまはげ板金は病院から20kmほど北に向かったところにありましたが、帰宅時間帯に見事にハマってしまい、到着までは1時間くらいかかったと思います。
日が暮れ真っ暗になる頃ようやくなまはげ板金に到着、外出したご主人に代わってご主人のお母さんが対応してくれ、広い敷地の片隅でブルーシートを被せられたRF400RVを見せてもらいました。
‘うわっ!!’
長男のケガの状況から、RF400RVはきっとヒドイ壊れ方だろうなぁ...とは思ってましたが、予想以上の激しい壊れ方に驚きました。
‘こりゃあ、直らんわ...。 ’
真っ暗な中で、懐中電灯の明かりを頼りに見るだけでもその壊れ方が充分に判ります。
遠目に見れば、フロントフォークは無事だしカウルが壊れただけ程度ですが、実際にはフレームにかなりのダメージがあるほどボコボコで、現場まで引き上げに行ったご主人も
「乗ってた人は大丈夫だったのか?」
と心配していたそうです。
もしRF400RVを廃車にするなら車両はなまはげ板金で処分してくれるそうですが、いずれにしても持ち主(長男)と相談してどうするか決めるので、それまで預かってもらうことにして、この日は病院に戻りました。
病院へ戻る途中、なぜか無性に切なくなりました。
‘やっぱりひとりで行かせなければ良かったなぁ...。’
‘廃車かぁ...。’
‘一緒に(菅生まで)行ってやれば良かったかなぁ...。’
‘もう少し(RF400の)面倒も見てやればよかったなぁ...。’
‘結局、一度も一緒にツーリングに行かなかったなぁ...。’
怒濤のごとくあふれ出てくる‘たられば’のオンパレードです。鱈に肝臓はあるのか?(...ってボケかましてる場合かよ。)
病院に戻り、目を覚ましていた長男に
「RF400RVを見てきたけど、あれじゃあたぶん直らないよ...。」
と、RF400RVの状態を伝えました。少々かわいそうだけど、直る可能性がほとんどないのにムダな期待させても仕方ありません。
「そっか...。」
長男は納得したような返事をしていたものの、きっとこの時はまだ伝えたことを記憶し理解することはきっとできなかったでしょう
。
長男は、脾臓の出血などで数日は経過観察が必要とのことで、病院側からも家族に‘付き添ってくれ’と云われていたので、カミさんが残ることになり、自分と次男は帰宅することに。
次男と自分は21:00過ぎに病院を出ましたが、途中であまりの眠さに耐えきれず3度も仮眠を取るハメになり、自宅に着いたのはナビの到着予想時刻よりも1時間も遅い時間でした。
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